短歌厚木水甕 澪の会

神奈川県厚木市の短歌会「澪の会」のブログです

*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見をブログ管理人(畠山)が独自にまとめたものです。各歌の著作権は各作者にあり、ブログ内で例として挙げた歌で著者名を記していないものの著作権は私(畠山)にありますので、そのまま真似してどこかに投稿したりは絶対にしないでくださいね。尚、「こう直したらどうでしょう・こんな感じに歌ってみたらどうでしょう」として書いている歌はその歌の原作者様(各歌の()内の名前の方)に著作権があるものとします。

◆歌会報 2022年9月 (その1)

◆歌会報 2022年9月 (その1)

*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見を畠山が独自にまとめたものです。

 

第124回(2022/9/16) 澪の会詠草(その1)

 

1・あぶら蝉Tシャツゆれる竿止まり夏本番を告げに来たとて(小夜)

あぶら蝉が夏本番を告げに来たといってTシャツが揺れる物干し竿に止まった。

揺れる洗い立てのTシャツやあぶら蝉など、あざやかな夏の光景がパッと見えてくる題材で良い歌ですね。

気になるのは「竿止まり」と助詞がなく続いてしまうところと、「来たとて」の「とて」ですね。

字余りでも「竿止まり」「竿止まり」と助詞が入らないとこのままの文法では「竿止まった」ということになってしまいます。

または「Tシャツ」から始めて、「Tシャツの揺れる物干しへ蝉止まり夏本番を~」としても良いかもしれません。

また結句の「とて」は「といって・として」という説明の意味なので、「蝉が夏を告げにきたといって竿に止まった」と述語(止まる)よりも本来は先に来るべき文章です。もしどうしても「とて」を使いたければ「竿へ止まる」と終止形にした上で「~とて(夏本番を告げに来たとして)」と倒置法にしないと上手く文章が座りません。

それよりも「竿に止まり夏本番を告げに来ており」と上からすっと繋がる文にしてしまった方が自然ではないでしょうか。

「竿へ止まる夏本番を告げに来たかな」と一旦終止形で切った上で推量の文を続けてもいいかもしれません。

 

2・売り出し地買われて後は駐車場に酷暑の中の草抜く人よ(栗田)

売り出し地が買われたあとには駐車場になり、酷暑の中に草を抜く人がいる。

細かい説明がされているので状況はとてもよく分かります。ただ、状況は分かるのですが、その状況に対する作者の心情がちょっと分かりません。

作者は暑い中で草を抜く人に対しどんな感情を抱いたのでしょうか。

ずっと「売り出し中」だった土地が買われて駐車場になったことに対し何か感情を抱いているのでしょうか。それは良い感情でしょうか、悪い感情でしょうか。

この歌では「状況の説明」だけで終ってしまっているので、不要な情報は消して、「その状況に対して作者に湧いた感情」がもう少し見えてくるといいな、と思います。

「売り出し地買われて後は駐車場」という「駐車場」に対する説明はここまで必要でしょうか?

なかなか売れなかった土地が売れたと思ったら駐車場になった(残念?安堵?)という一首と、駐車場を新しく買った人が暑い中マメに草を抜きに来る(マメな管理人に買われて少し安堵するような気持ち?)という一首で分けて作った方がよいかと思います。

「新しき駐車場のオーナーは酷暑の中に今日も草抜く」などと「駐車場」への説明を削って「今日も・また・まめに」といった情報を入れてやると作者の感情が少し見えてくるかもしれません。

 

3・人住まぬ実家の庭の鳥たちはけたたましく鳴き我を威嚇す(金澤)

(ご両親が亡くなられて)人が住まなくなった実家。すっかりその庭の主となった鳥たちはけたたましく鳴いて私を威嚇する。

野生の逞しさというか、人が住まなくなった家という哀しさと自然の鳥たちのしたたかさの対比という着眼点がとても面白い良い歌だと思います。

「鳥たち」が具体的に見えてくると読者の映像が更にクリアになって生き生きと場面が再現できるのではないでしょうか。

赤い鳥だということですが、コマドリもしくはアカショウビンあたりでしょうか。コマドリなら字数もそのままでぴったりはまるし、躰が小さい割に声が大きくよく鳴くイメージがあり知名度も高いので(実際はアカショウビンでも)コマドリにしてしまってはどうでしょうか(笑)。

 

4・炎熱にうんざり樫の木その向こう蒼き十六夜のっそり登る(緒方)

炎熱にうんざりした樫の木の向うに蒼い十六夜(いざよい)がのっそり登る。

あまりの酷暑に樫の木もすっかり参っている様子。その向こうに蒼い十六夜がのっそりと登る頃になってようやくほっと落ち着いた作者(と樫の木)。

下の句「蒼き十六夜のっそり登る」がいいですね。登るは昇るでもいいかもしれません。「登る・昇る・上る」いずれも間違いではありませんが、「登る」は階段や木など足がかりがある高さをのぼる、「昇る」は天体や煙・気持ちなどが空中(足がかりのない空間)の上の方へのぼる、「上る」は階段・坂・電車(上り線)・話題・上流など幅広く使えてとにかく「上の位置へ」のぼる時に使うことが一般的です。

上の句の「うんざり」が少し惜しい感じです。「うんざり」には作者の概念的な主観が含まれますね。それよりもただ「見た状態の描写」で読者にも同じ光景を脳内で再現させてあげる方が良い歌になります。

作者も「うだる・ぐったり・へたる」など考えたそうですがうんざりより断然そちらの方が良いと思います。

また字余りでも「樫の木」と助詞が欲しいですね。

 

5・朝散歩通りすがりの家の前幽かに匂う線香の香よ(名田部)

朝の散歩の時に通りすがる家の前へ幽かにお線香の香が漂って来た。

朝からきちんと仏様にお線香を上げる敬虔な信仰心を持つ人の生活が垣間見える良い歌ですね。

敬虔とか信仰篤くとか亡くなった人をどうこうとかそういうことは言わないで「幽かに匂う線香の香」という具体的な描写に落ち着かせたのが良いと思います。

ただ「朝散歩」はいけません。「◆情報を削り歌の核を見つける」や「◆助詞でこんなに変わるの!?その1」の項でも触れましたが俳句ではないので「朝散歩」「朝散歩」など助詞が必要です。

また「散歩」と「通りすがり」は意味が被ります。状況の説明過多になります。この歌で重要なのは「朝」「通った家から」「線香の香」でこの3つの情報は削れないものだと思います。

「通りすがった」ということで歩いている状況は分かるし、一番重要なのは「散歩した」ことではなく「線香の香がした」ことなのですから、「線香の香がした」以外の説明は悪目立ちしてはいけません。

ですから「散歩」という情報はこの歌にはそれほど重要ではないのでサクッと削ってしまって「朝早く通りすがりの~」としてしまいましょう。それだけでぐっと良い歌になると思います。捨てる勇気、大事ですよ。

 

6・すつきりと散髪終へたる男(を)の孫のうなじ撫でゆく秋の風はも(小幡)

すっきりと散髪を終えた男の子のお孫さんのうなじを撫でてゆくのはもう秋の風だなあ。

上の句の具体が良いですね。「すっきりと散髪を終えた男の孫」で何一つ迷わずに場面を思い描くことができます。

孫やペットのことを歌にしようとすると親ばかならではの「かわいい」や「愛おしい」感情が溢れてしまって主観的になってしまう危険性が高いのですが(笑)、この方の歌はお孫さんを詠んでも主観的にならず客観的な描写でしっかりと読者に場面を再構築させてくれます。そこから読者も作者からの押し付けでない「かわいいな」「愛おしいわね」という感情が自然と湧くのですよね。上手いなぁ、と思います。以前の、頂戴と言ったら目に涙を溜めて渡してくれる歌なんて最高にかわいいですよね。

上の句はもう文句なしなのですが、結句の「はも」という詠嘆が効果的なのかどうか。

まず「~だなあ」というような詠嘆なので「撫でゆく→はも」ではなく「撫でるは」ではないかと。また古語としての言い回しで一般的には使わない語句であることを考えると、あまり慣れない感じの語句を入れて読者を引き離さずに「うなじを撫でて秋の風ゆく」と誰でも自然に分かる文章にしてしまった方が良いのではと思います。上の句でこれだけ読者を引き付けたのですからそこで突き放してしまっては勿体ないですよね。

 

7・癌数字少しだけどよくなったと抗癌剤の治療始まる(山口)

癌の検査の腫瘍マーカーの数値が少しだけど良くなったということで抗癌剤の治療が始まった。

先月に続き、癌で亡くなられた奥様の癌との闘病を歌っていられます。

厳しい内容ですが感情的にならず淡々と状況を歌っている目線はとても良いですね。

ただ「癌数字」が問題です。「朝散歩」と同じで五音に抑えようと無理矢理語句を縮めてしまってはいけません。「抗癌剤の治療」とあることで癌に対するものだなということは分かるので「マーカー値」としてしまってはどうでしょう。

また「少しだけど」という言い方は口語(話し言葉)です。会話では普通に省略して使っていますが「」に入れて敢えて会話として使う場合を除き「だけど」という省略された部分をきちんと補って使いましょう。

 

8・背を伸ばす夏草茂り青青と河川敷への陽をはね返す(川井)

高く背を伸ばす夏草が茂り、青々と河川敷への陽光をはね返している。

きらきらと輝くような河川敷の様子が目に浮かびますね。

「背を伸ばす」と「茂り」と動きを表す語句が「夏草」という一つの語句に続いているので「背を伸ばす夏草の群」として動詞を一つに抑えてしまいましょう。

また夏草・青青・河川敷・陽と四角く硬い感じの漢字が続くので「青青」はひらがなにしてしまった方が柔らかくなりそうです。

 

9・庭の前に建ちし貸家の住人を知らず三年転居したらし(飯島)

庭の前に建った貸家の住人を知らないままに三年。そして知らないままに転居したらしいと聞く。

現代的な面白い場面ですね。玄関側のお向かいさんならまだ出入りの際に顔を合わせることもありますが、庭の前って言わばその家の背中しか見ていない状態ですから中々顔を合わせることがなくどんな人が何人住んでるかも分からないですよね。私も今の家に引っ越してもう四年になりますが未だに庭の前の住人を知りません(笑)。

「庭の前に」だと六音ですね。言い換えられないような語句は一文字くらい字余りでも構いませんし、しっかりと助詞を入れようとした心意気は良いのですが、これはもう少し考えれば五音で言い換えられそうでもあります。

「庭先へ」あたりにしてはどうでしょうか。

また今回は「庭の前」よりも「知らず三年」の「に」の方が外せません。「に」被りを防ぐためにも初句の「庭のまえ」「庭先へ」などに変えた方が良さそうです。

また「建ちし」の「し」ですが、ものすごく昔の話でもなく、自身が体験したことでもないですね。ですからここは「建てる」(今現在も家は建っているのだと思いますから)とした方が自然です。

「知らずに三年」で一拍空け、「転居したらし」とすると転居したことすらようやく知ってあらまあという面白味がより際立つのではないかと思います。

「庭先へ建てる貸家の住人を知らずに三年 転居したらし」

うん、面白いですね!

 

10・炎天に小さきウィルスは干さるるかマスク外さず皆歩き行く(鳥澤)

炎天に小さなウィルスは干されないのだろうか。暑い中マスクを外さず皆歩いて行く。

ヒトは汗だくになりながらも炎天下未だに皆マスクを外さずに歩いて行くというのに、その理由である小っちゃな小っちゃなウィルスはこの暑さに干からびないものかしら、という作者の独特な考え方が面白いですね。

実際はウィルスが死滅する温度は80℃以上を15分とからしいので気温で倒すのは難しそうです。先にヒトが負けます。でも紫外線にはヒトよりずっと弱いらしいのでそこは期待したいですね。

歌としての問題は「干さるるか」ですね。「干さるるか」だと「干されるだろうか」ですよね。「干されると思っているのか、皆マスクを外している」という文章ならば「干さるるか」でいいのですが、マスクは「外していない」のですから「干されないのだろうか」ではないでしょうか。

「干されないのだろうか。(いや、だが実際にはそう簡単には消えてくれるものじゃないと思っているから)皆暑い中でもマスクを外さない」という事ですよね。

なのでここは「干されぬか」とすべきかな、と思います。

マスク習慣、冬は暖かいし、風邪も引きにくくなった気がするし、化粧とか気にしなくていいし意外といいんですけどね。夏はやっぱりキツイですね。顎マスクとか衛生面ではあまりよろしくないんでしょうけれど、私は人との距離を見計らいつつ上げ下げしています。

 

11・夕涼み白粉花の香りして翌朝なれば役目終りぬ(戸塚)

夕涼みの時に白粉花(おしろいばな)の香がしたので翌朝見てみたら役目を終えていた。

白粉花は夕方から綺麗に咲くけれど、朝に見るとほんとうにくしゃくしゃに萎んでいたり花柄ごと落ちていたりして短い華という感じの花ですよね。

「役目終りぬ」。花の華やかに咲くことを「役目」と捉えるのは作者の主観ですね。ここは作者の主観は抑えて、「花落ちており」「花柄散りぬ」「くしゃりと萎む」など“役目を終えたな”と作者が感じた時の花の状態を具体的に描写したいところ。

また初句で「夕涼み」と入って助詞がないと俳句的ですね。「夕暮に」などとして自然に下に文章を繋げた方が短歌的です。

また「翌朝なれば」という言い回しは少し不自然ですね。「花の香して翌朝見れば」か「花の香せり・香りたり(終止形)朝には萎める花がら散りぬ」などとして「なれば」より自然な文章を考えてみてください。個人的には「見れば」という作者の行動の情報よりも白粉花の色や状態などの語句に字数を使った方が良いのでは、と思います。

 

12・わさわさと道へ這い出す葛の葉よ今年は刈り取る翁のあらず(畠山)

家の近くに一部だけ畑でほとんどが雑草伸び放題という土地があるのですが、道まではみ出るような雑草は毎年二回ほどちゃんと刈りに来てくれていたんですよね。

畑にも白い軽トラでぽちぽち通っているお爺さんがいたのですが、去年末あたりから姿を見ないなぁと思っていたところ、今年は夏になって1メートル以上も道に雑草が伸び出すようになっても放置。通学路なので苦情でも入ったのか先日やっと業者が入って刈って行きましたが、やっぱり代替わりでもされたのかなぁと思っています。そして新しい管理者はあんまり管理する気がない様子。

ほとんど出かけない出不精人間の私には自然満載で題材の宝庫なのですが、売られちゃったら寂しいなぁ、とか危惧しています。

「翁のあらず」が問題だなと思っていて「翁のをらず」「翁の来ずに」「翁来ぬまま」「翁現れず」など色々考えたのですが決まらなくて一番ダメそうな「あらず」で出してみました(絶対誰かが突っ込んでくれると思って)。

また毎年来ていたのに「今年は来ない」というのが核なので「刈り取る翁の今年は~」にしたほうがいいのではという意見を頂き、確かに、と。

最終的にどれにするかは未だ考え中です。

by sozaijiten Image Book 13