◆歌会報 2026年10月
第168回(2026/10/16) 澪の会詠草
1・平穏な日々の暮らしにふとよぎる一人の旅路どちらかが先(大久保)
内容はとてもよく分かりますよね。今は何の気なしに平穏な日常を送っているけれど、いつかはどちらかが先に逝ってしまう。そのことを考えると寂しくなってしまう。
気持ちもよく分かりますし、共感もできる、形も定型に沿っていて十分な出来だと思うのですが、欲を言えば「平穏な日々の暮らし」をもっと絞って、具体的な行動や場面にすれば、更に印象に残る歌になったのではないでしょうか。
皿洗い、買い物、掃除、食事、散歩。何をしている時、何を見た時にふと“いつかはどちらかが先に逝ってしまうのだなぁ”と感じたのでしょうか。
“当たり前の日常”であるほど、その当たり前が壊れてしまう寂しさを想像して、読者も作者と同じ不安を実感できるような気がします。
2・目覚めればカーテン揺らし涼風が昨夜の暑さ連れ去りて秋(栗田)
窓を開けたまま寝ていたそうです。自然の風を感じられていいのかもしれませんが、昨今は色々と治安が悪化しているので、ちょっと不用心かもしれません。
でも歌的には良い場面ですね。昨夜までは窓を開けて寝るほど暑かったのに、一晩で急に秋を感じる風に変わっていた驚き。
四句、字余りでも「昨夜の暑さを」と助詞があった方が読みやすいような気がします。
3・二度迄も浸水被害遭いし友「元気出して」と絵手紙に添え(渡辺)
千葉に住むお友達でしょうか。今年は雨が多く、あちこちで浸水被害が出ましたね。
先月は戸塚さんも地震被害に続けて水害に遭ってしまわれた友人を心配する歌を詠んでおられましたね。心配だけど相手の負担を考えると電話もできない、ということで、渡辺さんもその辺りも考慮しての絵手紙なのかな、と思いました。
歌としては、「浸水被害遭いし友」の部分に助詞がないので、少々読みづらい気がします。
「二度迄も浸水被害に遭う友へ」としてはどうでしょうか。
4・八十三さい介護生活一割なり情けなくも楽もわりての(山口)
多分磨けば光る核(内容)だと思うのですが、ちょっと日本語として難があり解釈が難しい作品になってしまいました。
まず「介護生活一割」というのは“介護保険により介護サービスの利用料が一割負担になった”ことなのか、“今まで自分一人で出来たいた生活の内、介護サービスに頼ることが一割になった“のか。
そして結句の「楽もわりての」。「情けなくも」ということは、「情けなく思うけれども、~~」と逆説になるので、「楽もありての」なら「情けなく思うも、楽もあるなぁ」とも読めるので、書き間違いかなぁと思ったのですが、どうも作者的には「わりての」で正しいらしい。するとどういうことが言いたいのだろうとかなり悩んでしまいました。「情けないけれど、楽も割られる」? だったら「情けなくも苦も割われたり」(情けないけれど、辛いことも割られるからまぁ仕方ないか)なのかなぁ、とか。
このまま読むと、大抵の人は「わりての?」と疑問に思いつつも、介護サービス負担料が一割になったから利用するようになって、情けないけれどもやっぱりちょっと楽になったなぁ、と読む人が多いのではないでしょうか。
しかし説明を聞くと、週に2~3回の介護サービスを受けるようになり、その日は家に居てヘルパーさんが来るのを待っていなければならないので、自由な楽しい行動も減ってしまった、ということらしい。
歌としてはこちらの方が断然深みがあるわけで、これをしっかり形にしたいですよね。
とするとまず「情けなくも」と逆説にしてはおかしいですよね。作者の心情的には「情けないけれども」という逆説ではなく、「情けない上に(更に)」という“列挙”として使用したのでしょうか。
ただ「あれもこれも」のように列挙として使う場合の「も」は“名詞”に付きます。動詞(走るも)や形容詞(悲しくも)などに付くと逆説となり、「走るも間に合わず」(走ったけれども間に合わなかった)や「悲しくも笑う」(悲しいけれども笑う)というように「~だけれども」と前の言葉を打ち消す意味になります。
また「楽(らく)」とすると、介護という言葉があるので「楽しみ」という意味ではなく「楽になる」という意味で取られる方が殆どだと思うので、これは「自由」とした方がいいのではないでしょうか。
生活の一割介護に頼る今自由の一割削られており
一割を介護に頼る生活に自由を一割支払いており
など、“生活の一割を介護に頼る”ということと、“自由(楽しみ)も一割減ってしまった”ということが分かる文章にすると、目の付け所(核)はとても良いので良い歌になるのではないでしょうか。
5・長雨の下がる気温に猛暑日の汗ぬぐう日々を懐かしく想う(川井)
長雨ですっかり下がってしまった気温に、辛かったはずの汗を拭うような暑い日々を懐かしいとまで思ってしまう。
喉元過ぎればなんとやら(笑)、私も毎年この感情を繰り返しています。夏は冬の寒さを懐かしく思い、冬は夏の暑さを懐かしく思う。
ただ深い思い入れのある場面を思い出しているわけではないので「想う」はちょっと大げさで「思う」でいいのではないでしょうか。
また気持ちは共感できるのですが、「下がる気温に懐かしく思う」という繋がり方に違和感がありました。
「長雨に気温の下がり」(長雨に気温が下がって懐かしく思う)とした方が自然ではないでしょうか。
また四句が「汗ぬぐう日々を」だと八音ですが、ここは「汗拭く日々を」「汗ぬぐう日を」など七音に整えられる気がします。
結句も「懐かしく思う」では八音なので「懐かしみおり」「つくづく思う」など工夫次第で七音に整えられると思います。
長雨に気温は下がり猛暑日の汗拭く日々を懐かしみおり
6・爺様の座ろうとするに茶髪の男(こ)素早く割り込みスマホを弄る(緒方)
一昔前は“寝たふり”でしたが、最近はスマホ見て知らんぷりが増えましたね。しかも一般席ならまだしも優先席とか、怒鳴り込みたくなる場面も。
トクリュウや闇バイトなどもそうですが、最近若者の凶悪化が目立ちますね。凶悪化というより、少子化でしっかり教育された礼儀正しくとても優しい子とヤンキーあがりがそのまま親になって親共々まともに教育ができていない子との二分化が激しくなった気がします。地域(社会)単位で子育てをしなくなり、各家庭の教育レベルがそのまま子供に出るというか。成人するまでは親(保護者)が子供の犯した犯罪などに全ての責任を負うような法律にでも変えないと、今のままでは悪いことした者勝ちの社会になってしまいそうですよね。
さて歌としてですが、「爺様」というのが、客観的に見ているよその老人なのか、自分(作者)のことなのかで迷い、客観的なら「年寄」とかの方がいいのでは、と思ったのですが、何度か読んでいるうちに、これは「爺様=自分をやや揶揄」していることにしてしまい、このままの形で自分事としての歌として見た方が面白いのではないかと思いました。
7・完走の夫をたたえて好物の枝豆ゆでる塩は多めに(金澤)
結句の「塩は多めに」がいいですよね。
ただ「完走」で少々迷う人もいるかもしれません。マラソンなどの実際の運動のことなのか、人生の完走(退職、退院など)なのか。私は枝豆+塩を多め(塩分補給)ということで、塩分補給を気にする暑い時期でそこそこの距離を走る競技(マラソン)なのかなと想像しましたが、迷う人もいると思います。
因みにマラソンではなく、トライアスロンだったそうです。すごい。
ただ「たたえて」は必要かな、とも少し思いました。
「好物」の枝豆を「塩を多め(塩分補給を気遣って)」にしている時点で「たたえる」と言ってしまわずとも作者の夫をたたえる気持ちは分かると思うんですよね。その分トライアスロンを(マラソンを、クロスカントリー)終えた夫に好物の~と競技名を入れてもいいかもしれません。これで「完走」に対する迷いは完全になくなります。
マラソンなら音数も丁度いいのですが、トライアスロンやクロスカントリーだと音数的にはだいぶはみ出してはしまいます。が、初句なのでまぁギリギリいけるとは思います。音数を外してでも競技名を入れる効果があるかどうか。悩むところではありますが、ただのマラソンよりも何だか若々しくて汗が飛沫くようなハードなイメージは湧くと思うので、印象としてはかなり効果的とも思います。音数を取るかイメージを取るかは考えてみてください。
8・友当る商品券が二千円余興楽しき祭りの夜よ(名田部)
友人が祭りの余興で商品券を当てたことを我が事のように喜び祭りを楽しむ作者。
内容はいいのですが、文法的には少し問題があるかなと思います。
「友当る」は正しく助詞を入れると「友が(主語)当る(述語)。」ですから、「友が当る。」と「商品券が二千円(分である)。」と二つの文章になってしまいます。
「友」が主語なら「友が商品券に当る」もしくは「友が商品券を当てる」。
「商品券」が主語なら「友の当てた商品券が二千円(である)」「商品券が友に当る」などとならないとおかしいと思います。
二千円の商品券を友当てる余興楽しき祭りの夜よ
また先に場面が祭りであることを出してしまうと読者も想像しやすいかもしれません。
祭りの夜(よ)商品券を二千円くじに当てたる友と楽しむ
9・塀際に苔の緑がふっくらとひかりて育つ九月の長雨(飯島)
「ふっくらとひかりて」という描写がいいですね。人には辛い長雨ですが、湿気を好む苔植物は生き生きと育っている様子がよく見えてきます。またそんなに立派に育つほど、長雨が続いているということも分かりますね。
なので、ここを結句に持ってきた方がより良くなるのではと思いました。
また苔が緑なのは言わなくても分かると思うので(他の色に見えたというのなら作者独自の見方なので省けませんが)、「緑」は省いてしまっても、読者が思う映像は変わらないと思います。
長雨の続く九月の塀際へ苔ふっくらとひかりて育つ
10・やまそまる茜の空に鳥飛び交いて秋の朝焼け輝いて眩しい(新ケ江)
最初下の句を「秋のあぼのめずらしき朝」として投稿されたので「あけぼの」の打ち間違いかなと思って確認をしたところ、「秋のあかつき」に直され、更にその後「秋の朝焼け」に直され、更に最終的に「秋の朝焼け輝いて眩しい」とされました。
うちは澪の会という小さな会なので直前でなければ結構修正もききますが、基本的には一度投稿したらその後の修正はできないので投稿前に確認をお願いします。
さて歌の内容ですが、秋の早朝の美しい景色を詠まれたものと思います。ただ三句(鳥飛び交いて)が七音になっていたり、「輝いて眩しい」だと結句は九音になってしまうので、形としては最初の「秋のあけぼのめずらしき朝」の方が良かったのでは、と思います。
それでも三句の問題が残るので、
やまそまる茜の空に鳥たちの飛び交う秋の朝の眩しき
などとすれば音数も合い、見えてくる景色も「山・染まる・茜・鳥・秋・朝・輝く」という構成要素があればあまり変わらないのではないでしょうか。
ただ、景色は見えてくるのですが、作者がどういう感情でその景色を見ているのかがこのままではちょっと分かりません。
美しい朝の光景に生きてて良かった~とかやる気が満ちてくるとか、プラスの感情が湧いているのでしょうか。でももしかすると逆に景色はこんなにも美しいのに作者の中にはマイナスの感情があって、美しい光景を見て逆に内なる寂しさなどマイナスの感情が際立ってしまっているのかもしれませんよね。その辺りが見えてくるといいなぁと思うのですが、まずは定型に近付ける工夫をしてみましょう。
11・秋雨の音に紛れて蟬が鳴くこの一日がつくづく惜しいと(畠山)
今年は本当に雨が多く、九月に入ってもずっと雨続きでしたね。なので、雨が降っているからと鳴くのを休みにしてしまっては、短い蝉の命が何もできずに終わってしまう。そんな危機感があるのか、今年は雨でも頑張って鳴いている蝉の声が時折聞こえてきました。
ただこの結句の「つくづく惜しい」は「ツクツクホーシ」の鳴き声にかけていて、そこがちょっと(いやかなり)作為的でいやらしいかな~という気はしています。
2025年6月に渡辺さんが、四十雀の声がスキスキスキと聞こえるという歌を詠まれ、私もそれを読んでから「スキスキスキ」にしか聞こえなくなったんですが(笑)、それに比べると今回実際に聞こえた音を文にすると「ツクツクオーシ」であって、かなり私の想像が入っちゃっているなぁと。
まぁ非常に作為的ですけど、意外と気付かなかった人もいるようなので、ここはもう作為全開にして
秋雨の音に紛れて法師蟬この一日がつくづく惜しいと
として、しっかり作為に気付いてもらおうかと割り切ることにしました(笑)
12・難解な古典なれども音読の楽しさを知る集う仲間と(大久保)
難しい古典を音読する会を楽しくやっているんだな、というところまでは分かるのですが、読者からするとまだ作者が遠くにいる感じです。
まず「難解な古典」が何なのかを具体的に出した方がいいのではないでしょうか。
また、「音読が楽しい」のか「仲間と学ぶことが楽しい」のか、核をどちらかに絞った方がいいと思います。
難解な「平家物語」を少しずつ歌うごと読めば裡(うち)に沁み入る
少しずつ「平家物語」を読み解きて語り継ぐ会ほのかに楽し
なんだか、ワクワクキラキラと如何にもな楽しさじゃないのだけれど、しみじみほわっとじわりと楽しい、そんな感じじゃないのかなと思って「ほのかに」にしてみましたが、もし賑やかな感じが楽しかったりするようでしたら、そこは変えてみてください。
これで“古典を音読する会を楽しんでいる作者”を遠くから眺めるかたちでなく、読者自身が作者の中に入って「平家物語」を音読している状態や会を楽しんでいる状態になれると思うのですがどうでしょうか。
13・桜木のバッサリ伐られて鈍色のそら広々と工場を覆う(栗田)
工場(こうば)に沿うような並木の桜でしょうか。バッサリと伐られてしまい、それまで枝葉で見えなかった空が広々と見えるようになり、どんよりと暗い鈍色(にびいろ)の空が工場を覆っている、そんな場面かと思います。
空が鈍色ということで、桜が伐られてしまって残念だという作者の気持ちも伝わってきますね。
「そら広々と」より「空が広々」の方がいいのではないでしょうか。
また「広々と覆う」という組み合わせにやや違和感も。広々と広がる、重々と覆うなどなら分かるのですが。
桜木のバッサリ伐られて鈍色の空がおもおも工場(こうば)を覆う
桜木のバッサリ伐られて工場(こうじょう)の上に広がる鈍色の空
14・雨戸開け風が運びし金木犀噎ぶ香りに秋の深まる(渡辺)
雨戸を開けた今運ばれてきた香りですから、「風が運べる金木犀」ではないでしょうか。
また「金木犀。」で切ってしまわず、字余りでも「金木犀の」と助詞を入れて下に繋げた方がいいのでは、と思います。
また「香りに秋が深まる」ってどうなのでしょう。「香りに」とくれば、本来は「香りに秋の深まりを(作者が)感じた」というのが正しいのではないでしょうか。そうすると雨戸を開けて香りに噎ぶまでは作者が主語なのに、結句だけ主語が変わってしまっている(作者が→秋が)ので何だか混乱してしまいますね。
雨戸開け風が運べる金木犀の香りに噎ぶ秋の朝(あした)は
雨戸を開けると同時にぶわっと入ってくる金木犀の香りに噎ぶという場面が出来れば、読者も十分秋の深まりを感じられるのではないでしょうか。
15・絵 短歌 そば打ち等捨てきれないで学ぶ吾絞りなさいと介護土は言う(山口)
さすがに定型をオーバーしすぎていると思います。音の数的に、「絵 短歌 そば打ち等」までが初句となりますから、本来五音にしなければならない初句で十音! これは無理ですね。
また空白は場面が転換する時、どうしても一息入れたい時に使うものなので、羅列する時は「、」を使った方がいいと思います。
また「介護土(つち)」となっていますが、「介護士(し)」の打ち間違いかと。
絵、短歌、そば打ち全て捨てきれぬ吾に絞れと介護士の言う
とすれば十分定型で作者の言いたいことは言えるはず。
いつも言いますが、内容(視点、題材の絞り方)はとても良いんです。あと少し、言い換えたり語順を変えたりと、言葉を探して歌の形に仕上げる作業にも力を入れていただけたらと思います。
そして介護士が何と言おうと、趣味は絞らずに全部続けた方がいいと思います(笑)
16・バス停に烏瓜持つご婦人と花の話題に駅まで揺られ(川井)
烏瓜(からすうり)を持つご婦人、ということで季節感もありますし、「ご婦人」ということでちょっと上品で柔らかい感じの女性像が浮かんできますよね。
烏瓜をきっかけに作者が声をかけたのでしょうか。そのまま花の話題で盛り上がり、仲良く駅までバスに乗って行った和やかな場面が浮かびます。
気になったのは「バス停に・話題に」という「に」重なりと結句の「揺られ」という連用形でしょうか。
ただ結句の「揺られ」はこの場合「バス停・駅まで」という言葉があるので「揺られて行った」という続く意味に迷うことがないので、今回は連用形で流していいのではないかと思います。
「に」の方は「バス停の」でいいのではないでしょうか。「花の話題に」の「に」の方が変えられないと思うんですよね。変えるとしたら「で」なんでしょうけど、「花の話題で」って「で」にすると急に世俗的になるというか(笑)。
「バス停にいたご婦人」という思いで「に」にしたのかと思いますが、「バス停のご婦人」でもご婦人がバス停なわけはないんですから、意味としては「バス停の所にいたご婦人」ということになり、結果的に意味は変わらないと思います。
17・無垢の眼にほほえみ返す赤ん坊性悪説の正否のぐらつく(緒方)
性悪説(せいあくせつ)とは古代中国の思想家荀子(じゅんし)が説いた思想で、人間は本来的には悪(利己的)であり、教育や法律によって善となるよう矯正しなければならないというものです。
作者は基本的にはこの性悪説支持者なのですが、赤ん坊の無垢な目で笑い返す様子に「本当にこの無垢な赤ん坊の中に悪の種が入っているというの?」とその信念がぐらついてしまったという。
私も性悪説派ですし、歌の場面もよく分かります。しかし「正否がぐらつく」と言ってしまっていいのでしょうか。それは作者が出した答え(ぐらつくこと自体が)であって、読者自身に「性悪説が正しいの?ほんとに?」という疑問を持たせるところで止めておいた方が、より赤ん坊の無垢な目を前にした作者の位置に近付けるのではないでしょうか。
無垢の眼にほほえみ返す赤ん坊 性悪説を唱えしは誰
性悪説なんて言い出したのは誰だっけ。この無垢な目を見てよ。それって本当に正しいの? という疑問が読者の中から湧くのではないでしょうか。
もしくは、「赤ん坊の無垢な微笑みに私の中の性悪説がぐらつきました」という形ではなく、「私の中の性悪説をぐらつかせるほどの赤ん坊の無垢な微笑みよ」という形にすれば報告感が薄まるのではないでしょうか。
と言うより、更に言えば「無垢」というのは非常に概念的な言葉です。例えば「無垢」を絵に描いて下さいと言われても「無垢」そのものに決まった形があるわけではありませんから、描けませんよね。描くとしたら作者が「無垢」と感じた具体的なものを描かなければならず、この場合微笑む赤ん坊の顔を描くはずです。そして「無垢」を表現するためには大きく潤んだ黒目などに注目して描くのではないでしょうか。
そこを描ければ「ぐらつく」も実感として伝わるはずです。
赤ん坊の大きな黒目を潤ませた笑みにぐらつく性悪説が
18・雨音とコオロギの声混じりあい重き夜へと深く沈みぬ(金澤)
上の句はとてもよく情景が浮かんでいいのですが、下の句がちょっと概念的で分からないかと思います。
「重き夜」からは、何となく陰鬱とした夜なのだなということまでは分かるのですがそれ以上は見えて来ません。
悩みの内容までは明かさずとも、何だか寝付けない様子などを具体的に描写できれば、と思います。
19・初めての烏賊墨パスタこくのあり二人御歯黒可笑しきランチ(名田部)
名田部さんの「初めての食」シリーズ第二弾(笑)。作者の挑戦や驚きが素直に表れていて、良いと思います。
今回は烏賊墨(イカスミ)パスタということですが、友人と二人で「うわぁ、歯が真っ黒よ、お歯黒みたい」と笑いあっている場面がとても楽し気で良いので、そこに「こくがあった」という味の描写は要らないと思います。
またよく食レポでも耳にするこの「こくがある」というフレーズですが、正直「濃厚かさっぱりかで言えば濃厚な方」くらいしか得られない情報だと思います(笑)。実際に食べたことがない人には全然想像がつかないという。
私はイカスミパスタを食べたことがないので表現しようがないのですが、どんな感じなんでしょうね。魚介っぽい香り?塩気は?苦味は?
もし味について書くなら、それを食べたことがない人にも想像がつくような具体的な情報を探して欲しいと思います。
ただ今回は味については置いておいて、「お歯黒だ~!」と笑いあっている場面を中心に描いてみましょう。
初めての烏賊墨パスタに友と二人御歯黒となる可笑しきランチ
初めての烏賊墨パスタに友と二人揃って御歯黒可笑しきランチ
20・ほととぎす、秋海棠に秋明菊、秋雨の中けなげにも咲く(飯島)
秋の庭草の様子ですね。ただ「けなげ」が少し概念的かなとも。
長雨で徒長してしまいひょろひょろと細くなりながらも懸命に咲いている様子だと思うのですが、「けなげ」ってかなり作者の主観が入った言葉だと思うんですよね。
また「秋明菊」と「秋雨」は並列ではないので、ここの「、」は要らないと思います。
ほととぎす、秋海棠に秋明菊続く秋雨に打たれて咲きぬ
ほととぎす、秋海棠に秋明菊ひょろりと細く秋雨に咲く
21・枯れ葉落つ庭に倒れし檜扇やぬばたまの実に万葉めぐらす(新ケ江)
庭に倒れた檜扇(ひおうぎ)の実(=ぬばたま)を見て「ぬばたまの~」を枕詞とする万葉集の歌などに思いを巡らしているという場面でしょうか。
ただ、上の句必要?と思ってしまいました。特に初句。「枯れ葉落つ」だと「枯れ葉が落ちた。」とここで文章は切れてしまい、「枯葉の落ちた庭」のように「庭」にはかかりません。庭にかけるなら「枯れ葉落つる庭」「枯れ葉落ちた庭」「枯れ葉散る庭」などかと思いますが、そもそも場面的に「枯葉の落ちた庭」である意味があるのかな、と。
主役は「ぬばたま」だと思うので、もっと「ぬばたま」の情報を厚くしてもいいのではないでしょうか。
また「万葉」というと多くの草木のことや、長い年月のことも意味するので、「万葉集」とか「万葉の歌」とか意味に迷わない表現にした方がいいと思います。
檜扇の風に倒れてぬばたまの黒き実に思う万葉の歌
雨ののち庭へ零るるぬばたまの黒き実に巡る万葉の歌
22・実家へと通ふ道辺に聴こえくる蟬のいつしか秋虫となる(畠山)
車で片道一時間ちょっとかけて実家へ片付けに通っているのですが、途中に通る切り通しの道では車内に居ても両側の樹々から虫や鳥の声が聞こえてきます。
夏にはそれが蝉の声だったのに、足を挫いてしばらく通わなかった内に気付いたらコオロギなどの秋の虫の声になっていて、もうそんなに時間が経ったんだ、とふと実感しました。
ただこのままでは誰でも歌える歌の域を出ていないんですよね。その秋の虫(コオロギ)の声が私(作者)には“どう”聞こえたか。そこを書かないといけないんですよね。なのでこの歌はあまり良い例ではないと思います。
これに続けて
日の落ちて帰路に聴きたる蟋蟀の声きりきりと寂しさ穿つ
と詠んでいて、こちらの方を出すべきだったかなとは思うのですが、歌会は「良くできた」と思う歌よりも不安のある方を出して、どこが分かりにくいのかなど、皆さんの意見を聞きたい場だと思うので、敢えてよりダメっぽそうな方を出すようにしています(笑)
皆さんもどの歌を歌会に出そうかなと迷ったら、より迷いのある方を出してみてくださいね。で、水甕や新聞など外部に投稿する時は修正をして、一番良くできたと思う物を出すようにしてください。
◆◆◆新コーナー 紙上(ブログ上)歌評コーナー◆◆◆
歌会に出して皆の意見を聞いてみたい!けど日程が合わない!体力的に無理!という方(いるのかな?)のために、一首だけのちょい歌評コーナーを作ることにしました。
今回は以前愛甲公民館で歌会をしていた頃に入会してくださったけれど、その後お身体を壊されて歌会への出席が難しくなってしまわれた渡辺Eさんにお願いしてみました。
渡辺Eさんはもうベテランで「水甕」でも一番上の同人欄に居られる方なので、私がなんやかんや書くのもおこがましいかなとも思うのですが、やっぱり他人の目で見て貰うと自分では気付けなかった点とか結構出てきますし、読んで貰えたという実感があると嬉しいですしね。
私も自分のために始めたブログですが、「読んでますよ」とか何かしら反応があるとやっぱり嬉しいし、正直書くのが面倒くさいと思う月もあるのですが、読んでくれる人がいるなら書かなきゃ、と継続の力になっています。
23・秋の日に牡丹の蕾枝先に葉っぱ落として春を待ちおり(渡辺E)
牡丹は秋に蕾が作られ、冬を越して春に大きく膨らむんですよね。来年の開花に向けて冬を迎える準備を始めた牡丹の蕾の様子。場面も絞られてよく見えてきますね。
気になるとすれば「枝先に」でしょうか。蕾が枝先に付いているのは当然で「枝先に」がなくとも思い描く絵は変わらないと思うので、その分「ふっくらと・はつかに尖り・まだ固く・ほのかに紅き」など、形や質感、色などの情報を具体的に入れてみてはどうでしょうか。
また「枝先に」だと、「葉っぱを落として春を待っているのは誰か」という迷いも生じてしまいます。牡丹自身が枝先に蕾を付けて冬を迎える準備として不要な葉を落として春を待っているのか。それとも牡丹の蕾が枝先に付いたのを見て作者が剪定して(葉を落として)やって春を待っているのか。
そうすると上の句と下の句で主語が変わってしまう危険性があるんですよね。
なのでそういう迷いが起きない為にも「牡丹の蕾」を主役にしてその具体的な描写で上と下を繋げた方がいいのではないかと思います。
☆今月の好評歌は16番、川井さんの
バス停に烏瓜持つご婦人と花の話題に駅まで揺られ
となりました。
烏瓜という季節感ある具体とご婦人という表現から見える上品で柔らかな女性像がしっかりと映像として浮かび、花の話題をともにしながらバスで揺られてゆくというとても和やかな世界に入ることができました。
7番金澤さんの枝豆塩は多めにの歌、19番名田部さんの烏賊墨パスタにお歯黒の歌も好評でした。
次回澪の会は11月20日第三㈮ 12:30~厚木アミュー605です。
参加予定の方は11月6日までに詠草二首をお送りください。
急に寒くなり体調を崩される方が増えています。インフルエンザも流行っているらしいので、体調に不安がある時は無理せずお休みください。
◆新コーナー紙上歌評への投稿希望の方、いらっしゃいましたら詠草一首と解説(歌会で直接伺えないため、どういう場面を歌ったものか簡単な解説をお願いします)をatugimioあっとgmail.comまでお送りください。
迷惑メール防止のため、お手数ですが「あっと」の部分を「@」に変えてお送りください。








