さて例えば(上の句までですが)「朝散歩川辺行く我に風涼し」なんて意味は分かるけど日本語として無理があるというか、文章として不自然すぎませんか。
まず明らかに必要な助詞が足りません。助詞についてはまた別の項で述べますが、省いたら無理がある助詞を省いてはいけません。
文章として自然に書くなら「朝の散歩で川辺を行く我に風が涼しく吹いてきた」とかですよね。でもこれだと到底五七五では収まりませんし、短歌というより作文ですから、ここでどの情報を省くか、他に言い換えても同じイメージに辿り着けそうな言葉はないか考えます。
また「で」という濁音の助詞は他に変えられないかなども考えます。
「散歩」と「行く」はどちらかを削っても大丈夫そうですよね。「我に」なんてのもいらないでしょう。涼しい風を感じているのは「我(作者)」だと分かればいいんですから。主語を「が・は・の」などの主体を表す助詞で指定しない場合、基本的には作者が主体として捉えられます。
「早朝に川辺を行けば風涼しく」などとしても作者と読者のイメージはそれほど乖離せず、文章としても自然になるのではないでしょうか。
更に言えば「早朝に川辺を行けば夏風(春風・秋風)が(の)」として、どのように風が吹いてきたので涼しいと感じたのか(頬を撫でる、髪を揺らす・桜を散らす、ススキを揺らす・水面を抜けるなど)を下の句で述べて一首にまとめたいところです。
というより、例として上の句までしか作りませんでしたが、おそらく歌として一番言いたかったこと(歌の核)は「風が涼しかった」ですよね。涼しい風を心地よいと感じてぐっと来たからこそ、この場面を歌にしようと思ったはずです。
上の句では場面を再現し(朝の川辺の風)、下の句で核(どのように吹いたから風が涼しいと思ったのか)を歌いたいところです。
この「歌の核を見つけ、省いてもいい情報・言葉をどれだけ削れるか」が短歌作りでは一番大事で一番難しいところでもあります。
初心者はもれなく「どれも外し難い!」となるでしょう(笑)。どれも言いたい。実際そうだったんだから。それを抜くと伝わらない気がする。大体、具体的に書けって言うから具体的に書いたつもりなのに!
……分かります。誰もが通る道なんです。というか、そこそこ長いことやってても毎度そう思うんです!
けれどここで極限まで不要な情報を切り落とし、一番言いたい一つのことを見つけ、それを際立たせるのが大事なのです。
また「具体的に書け」というのは「説明しろ」とイコールではありません。ぐっときた状況をひとつひとつ順を追って具体的に書け(状況を説明しろ)、というのではなく、作者がぐっときたもののその時の状態を鮮やかに再現するために具体的に書けということです。鮮やかに再現するため、ですよ!
ところで一番言いたい核を見つける。これが意外と難しいのです。自分のことなのに結構分かっていない。気付いていない。歌を作りながら、自分はこの時何に感動したんだろう、どこの部分でぐっときたんだろう、結局絵にしたいのはどの場面だろう、と自分の思考を見つめ直してください。
読者に正しいイメージをしてもらう為には具体的な情報が要る。けれど情報を盛り込みすぎて一番の核がぼやけてしまってもいけない。ここの駆け引きと葛藤が難しいところでもあり、面白いところでもあります。
まずは一瞬を切り取る。そもそもの題材があれもこれも詰め込まれていてはどうにもなりません。
何度も言いますが、まずは絵葉書を一枚描くという気持ちで題材を切り取り、観察してください。
そして同じ意味の言葉が被っていないか、削ってもいい情報はないか、一番の核は何かを考えましょう。
捨てる勇気、大事です。
☆一番言いたい部分はどこ?
☆この情報、必要かな?
☆似た意味の言葉、被ってない?