さて、何を歌えばいいのか。題材を切り取るコツ、題材の見方などは少し分かってきましたね。
雅だと思うもの、美しいと思うもの、良いと思うものを”想像して”歌おうとするのではなく、雅だと思ったもの、美しいと思ったもの、良いと思ったものだけでなく、衝撃を受けたことなど自分が“実際に”感じて心が動いたものを、絵葉書一枚に描くつもりで切り取り具体的に描く。
歌の中身に関してはそんなところです。
今度は歌の外見、作品として仕立てる時の注意点を見ていきましょう。
まずは助詞についてです。
助詞(て、に、を、は、の、へ、で、となど)を一文字入れるだけでいきなり情景が分かるようになったり、変えるだけで全く違う印象になったりするのが短歌の面白いところでもあり、怖いところでもあります。
まず一番に注意すべきことは「抜いたら意味が通じなくなる助詞を抜いてはいけない!」です。
たとえ字余りになっても必要な助詞は入れて下さい。
俳句はとても短いので逆に主体がブレることもあまり起きません。そのため俳句では助詞が省かれることも結構あります。それでも作者と読者のイメージにズレが生じないからです。
けれど七七、たった十四文字増えるだけですが、短歌になると言えることが増える分、ズレやすくもなります。
五七五のリズムは日本人にはとても親しみやすく、上(かみ)の句(五七五)までがさらっと自然に出来てしまうこともあるかと思いますが、助詞を省いて俳句のようになっていないか少し見直してみましょう。
五七五七七までで短歌です。「五七五 with 七七」と下(しも)の句の七七が付け足しのサブメンバーのようになっていないか注意しましょう。五七五七七と自然に続けて読め、基本的には一番言いたいこと(核)を結句(最後の七)に持ってくるのが短歌としては理想的なかたちです。七七はサブメンバーどころか、実は一番の花形、主役メンバーなのです。上の句で主体や状況を明確にし、下の句で一番言いたいこと(歌の核)を言う。これが理想です。
また調べとしても途中でブツブツ途切れてしまわず、なめらかに読める文を目指しましょう。それには助詞が不可欠です。
助詞は自然に使っているようでいて、実はとても難しいものです。私たちも英語の助詞の差ってなかなかわかりませんよね。onだのatだののニュアンスの差が掴めません。同じように、助詞を使いこなせない日本語勉強中の外国人のように、助詞を省いて単語の羅列になっていないか注意しましょう。
日常会話なら助詞を省いても意味を察してもらえますが短歌は「文学」です。言葉を大事にして作りましょう。
例えば犬の散歩の時の情景を歌おうとして「犬散歩」などと初句で書き出す人がいます。「い・ぬ・さ・ん・ぽ」で五音だし。
いやいや待って、それはダメです。そこは字余り(六音)になっても「犬の散歩」とか「犬と散歩」などの助詞が必要です。それにもし「犬が散歩」や「犬は散歩」だったら主役が飼い主から犬に変わりますよね?助詞ひとつで一気に主役が変わってしまうこともあるのです。
更に続く文によっては「犬と散歩の」とか「犬は散歩に」など更に助詞が必要になるかもしれません。そうなったら七音ですから、もう句の位置を変えて組み立て直すか他の言葉を考えるかしないといけませんね。でもそれが面倒だから、意味は通るからいいでしょ、と助詞を省いて「犬散歩」にしてはいけません。文学ですから(笑)。
◇主体を表す助詞「が、は、の」
特に主体を表す助詞「が、は、の」はそれ抜いたら主体が分からない、主体が変わってしまう、どちらとも取れるということが結構あります。そうするともういきなり作者と読者の思い描くものが大幅にズレてしまうのです。
主体を明らかにするための助詞は省略してはいけない場合が殆どです。(明らかに主体が分かる場合は音数を考慮して省けることもある)
常に読者に作者と同じものを見てもらう(脳内に再生してもらう)努力をしましょう。
例えば主語が「春風」述語が「吹く」だった場合、「春風が吹く」「春風は吹く」「春風の吹く」とそれぞれで雰囲気が少し異なりますよね。
「の」<「は」<「が」の順に主張が強くなる感じです。
また「春風吹く」「春風吹けり」「春風吹きぬ」など助詞を省く場合、他の助詞を入れたら意味が変わってしまう場面となっていないか気を付けましょう。「(誰か・何かが)春風を吹く」「春風に(の中に・に向かって)吹く」などと取られてしまう危険はありませんか。
例えば「(私が)シャボン玉を吹いた時ふわりと春風も吹いた」みたいな場面を歌おうとして「シャボン玉ふわり春風吹けり」などとした場合、「主語はどれよ?シャボン玉がふわりと春風を吹いたの?春風がふわりとシャボン玉を吹いたの?春風(の中)に吹いたの?シャボン玉を吹いたのは誰?作者?春風?ふわりはシャボン玉にかかるの?春風にかかるの?」と疑問ばかり湧いてカメラの固定ができず、一向に情景がイメージできません。
作者は情景を見ているので助詞がなくても脳内で補完できてしまいますが、読者は助詞がないと全く分からないこともあるのです。読者が情景を構築する時に迷わずにすむように、作者は助詞をきちんと指定してあげましょう。
主役、状況、時系列など、何も知らない読者に「この状況分かって貰えるかな」と考えながら作りましょう。
また短歌に於いては少し気にして欲しいのが「が」です。「が」は意味が強いので歌としてはややゴツいというか主張が強すぎる印象になってしまうのと、濁音なので響きのイメージも強く、調べが濁ってしまう危険性があります。
絶対に使ってはいけないというわけではありませんよ。「が」にはとても強い意志があるので、ここぞという強調したい主語、意志を感じる主体には「が」を使う方が生きることもあります。
ただ通常の短歌では「は」や、口語ではあまり使いませんが「の」を使うことの方が多いです。
「鳥が飛びゆく」は「鳥は飛びゆく」「鳥の飛びゆく」などとなります。でも歌の中でこの「鳥」の存在を強調したい場合や、鳥が飛ぶことに意思を感じるような場合、「が」を使った方が生き生きと表現できることもあります。
また「の」は便利な助詞で短歌界では助詞の王様と呼んでもいいくらい活躍します。
先ほど書いたように主語を示す「の」(「鳥の飛びゆく」、「向日葵の咲く」など。「が」や「は」の役割をする)。
連体修飾語を示す「の」(「あなたの背中」、「夕暮の街」など必ずあとに体言(名詞)が来る)。こちらは短歌だけでなく普段の会話でもよく使っていると思います。
「の」は鼻にかかる音ではありますが(鼻にかかる音はのっぺりしがち)響きも柔らかく、調べとしても申し分ありません。
更に言うと短い一首の中ではなるべく同じ助詞を使わないようにするのが基本なのですが、「の」に限っては重ねて使っても自然でリズムも壊れません。
「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る」 正岡子規
これでもかというほど「の」が使われていますが、柔らかでリズムも良くそれでいて意味もしっかり通りますよね。
これが「くれなゐで」だったり「針やはらかで」「春雨が降る」だったりしたらこのリズム感や響き、柔らかな雰囲気は出せませんよね。
助詞の響きって意外と大事なんです。