短歌厚木水甕 澪の会

神奈川県厚木市の短歌会「澪の会」のブログです

*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見をブログ管理人(畠山)が独自にまとめたものです。各歌の著作権は各作者にあり、ブログ内で例として挙げた歌で著者名を記していないものの著作権は私(畠山)にありますので、そのまま真似してどこかに投稿したりは絶対にしないでくださいね。尚、「こう直したらどうでしょう・こんな感じに歌ってみたらどうでしょう」として書いている歌はその歌の原作者様(各歌の()内の名前の方)に著作権があるものとします。

◆歌会報 2021年11月 (その2)

*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見を畠山が独自にまとめたものです。

 

第118回(2021/11/19) 澪の会詠草(その2)

 

14・大空を寄りつ離れつ輪を描く二羽のトンビのアイスダンス見つむ(川井)

大空を寄ったり離れたりしながら輪を描き飛んでいる二羽の鳶のアイスダンスのような動きを見ている。

ただのダンスではなくアイスリンクをサーッと滑るような滑らかな滑空を「アイスダンス」と捉えたのだと思います。ですからただの「ダンス」ではダメで「アイスダンス」という言葉は必須だと思うのですが、「アイスダンス」は既に6音固定なので扱いがやや難しい言葉でもありますね。

で、「アイスダンス見つむ」では結句が9音になってしまいますから、これをどうにかしたいと思います。

まず「見つむ」は切ってしまっても良いのではないでしょうか。情景を見ているのは作者ということは分かるので、作者が「見ている」と改めて言う情報はこの歌にはさほど必要ではありません。

また「二羽の」という情報も切れると思います。「寄りつ離れつ」「アイスダンス」などの言葉から読者の頭には自然と二羽の鳶が思い浮かぶと思います。

「大空を寄りつ離れつ輪を描きアイスダンスをしている(踊れる)とんび」などとすれば「アイスダンス」を入れつつ音数も合わせられるのではないでしょうか。

 

15・玄関にどんぐり五種類並べ置く散歩の楽しみ秋深みゆく(飯島)

玄関に散歩に行く都度拾って来たどんぐりを五種類も並べて秋の深まりを楽しむ作者。

「どんぐりを五種類も並べ置く」という具体がとても面白く個別的です。

ただし前半がとても個性的で面白いのに後半で「散歩の楽しみ←概念的」、「秋深みゆく←一般的」となってしまうのがとても惜しい。

「玄関に五種類ものどんぐり(そんなに色々あるんですね)を並べて置く」という部分だけで一首にしたいところですね。

「玄関にどんぐり五種類並べ置く尖ったものもまぁるいものも」など、どんなどんぐり?色は?かたちは?というような具体的な情報で下の句を作ってみて下さい。

 

16・褐色の川に飛び交う白鷺の翼は朝の光となりぬ(名田部)

大雨の後でしょうか、褐色に濁った川に飛び交う白鷺の翼はまぶしいほどに真っ白に輝いて朝の光となっている、という歌ですね。

作者が実際に見た光景を具体的に描写しているので、読者にも情景がすっと思い浮かぶ良い歌ですね。

このままでも十分良いのですが「褐色」「飛ぶ」「鷺」「翼」等やや画数が多い漢字が多いので、歌の雰囲気をもう少し柔らかくしたいな、と思ったらどこかの漢字をひらがなにしてみるなど、表記にも気を付けてみてもいいかもしれません。

その場合、前後の言葉によってはひらがなにすると意味が取りづらくなる言葉もあるので気を付けましょう。

今回は「飛び交う」を「とびかう」にして「白鷺」の印象を強めてもいいし、「白鷺」を「しらさぎ」にして柔らかさを出してもいいですね。そこは作者の心象に合う方を選んで下さい。

 

17・地蔵尊 幻視か夢かはしなくも霜月早暁まくらべを過る(緒方)

お地蔵様が夢なのか幻なのか分からないけれど思いもよらずにとある11月の明け方に作者の枕辺を過(よぎ)って行った。

想像したのではなく、作者には「確かに見えた」のでしょう。ただし実際お地蔵様が(物理的な存在として)現れるとは作者も思っておらず「幻視か夢か」と訝しんでいるようですが、ここは「え、夢かな、いやでもハッキリ見えたし。俺、頭おかしいのかな」と悩んだ事より「お地蔵様が作者の枕元に現れた!」という事が作者の心を動かしていると思うのでそちらで歌をまとめてはどうでしょう。

コロナ禍で世情が不安なこの時期にお地蔵様が作者の元に現れたということで「地蔵尊 コロナ二年目はしなくも霜月早暁まくらべを過(す)ぐ」などとしてはどうでしょうか。

 

18・零歳は時にマジシャン途切れなくティッシュ引きをり眼光らせ(小幡)

生後一年に満たない零歳の子は時にまるでマジシャンのように眼を光らせてティッシュを途切れなく引き抜いている。

マジシャンのようにティッシュを引き抜く子供の様子がよく分かります。

形としては「零歳児」として子供であることをハッキリさせるとか、「眼光らせ」は「目を光らせる=監視する」という慣用句があるので「目を輝かせ」とした方が良いのでは、と思います。

ただこの作者は「見たままの光景を確実に描写する」段階はとうに卒業していて、「事実の裏の詩」「その事実の裏にある複雑な感情」を巧く表現できる歌を作れる人なのですが、今回は「事実の描写」までで終わっているかもしれません。

これは非常に難しいところで、文法や助詞の違いのように「こう直せば」と言える問題ではないのが悩みどころです。

 

19・ちょっとだけ会っても後が淋しいと本音をこぼす白寿の父は(大塚)

ちょっとだけ会っても却ってその後が淋しいよ、と九十九歳という高齢の父は本音をこぼした。

高齢で施設などに入り、賑やかな家族とは一緒に生活をできない、現代ならではの高齢者の切ない心理を鋭く突いた歌ですね。

ちょっとだけ会うことで逆にその後の静かさや空虚さが浮き彫りにされて、余計に淋しくなってしまうよという、言われればハッとして確かに共感できるけれど中々自分の中からは出てこない心理ですよね。

「ちょっとだけ会っても後が淋しい」という具体的なお父さんのセリフが効いています。

 

20・悲しげな老母の笑顔は我が胸に重く沈みぬ澱のごとくに(金澤)

19番の歌と似ているような高齢家族との間にある切ない心理を歌ったのだと思いますが、19番の歌と比べると具体がないのでやや迫って来る力が足りません。

「悲しげな老母の笑顔」がどういう状況のどういう仕草かなどが具体的に分かるとぐっと良い歌になると思います。

別れ際などに本当は寂しいのに無理して笑っているのだな、とか本当はすごく不安なのに(体調とか独り暮らしとか)それを出さないように笑っているとか「悲しい笑顔」の悲しい理由を知りたいところ。

例えば「「じゃあまたね」と笑う老母の悲しさが胸に沈みぬ澱のごとくに」などとすると「悲しげな老母の笑顔」がぐっとリアルに想像できるのではないでしょうか。

 

21・菊の花とりどりに咲かせ手折りして遺影に供え安らぎの時(栗田)

庭に色とりどりに咲かせた菊の花を摘んで遺影に供える、静かで優しいひとときを歌った歌ですね。

菊の花を色とりどりに咲かせて(おそらく日替わりで)手折って捧げるという具体的な行動から、作者の死者を悼む心や思い出を大事にする優しい人柄が見てとれますね。

歌の形としては「咲かせ手折りして」と畳みかけると「咲かせる」と「手折る」とどちらも主語が作者になり動詞が同じ重さになってしまうので、「咲くを手折りして」とすると「手折る」の方に意味が傾きます。

また「供え安らぎの時」と続けずに「供う・供える」と終止形にして切るか、「供える」と連体形にして「安らぎの時」という名詞に繋げるか、「供えて」と接続助詞で繋げるようにしましょう。

 

22・神田川暑さ凌ぎの喫茶店メロンソーダーに舌鼓打ち(戸塚)

神田川沿いの喫茶店に暑さ凌ぎで入ったところ出てきたメロンソーダが殊の外美味しくて舌鼓を打った、という歌ですね。

暑さと疲れのせいで余計冷たいメロンソーダが美味しく感じられたのだと思います。

神田川」「喫茶店」と体言止めが続いてブツブツ切れてしまうので字余りにはなりますがどちらかに「の」を入れて文章を繋げましょう。

また「メロンソーダー」の最後の「ー」は要りません。

また結句の「舌鼓打ち」は「打つ」と終止形にすると文章の座りが落ち着きます。

 

23・刈りたてのパッチワークの稲田舞う白サギ2羽も額なる景色(小夜)

刈りたてで畔が現れパッチワークのように見える田んぼに二羽の白鷺が舞う様子が額に入れた絵のようだ、という歌ではないかなと思います。

まず表記の問題として「白サギ」は全部漢字の「白鷺」か全部ひらがなの「しらさぎ」にしましょう。一つの単語の中で表記を分けないようにしましょう。

また「2羽」は「二羽」と漢数字にしてこれもまた表記を揃えましょう。

さて歌の中身ですが、「額なる景色」がものすごく解釈を難しくしてしまっています。

「これこれこういう景色がまるで額装した絵のようだった」と言いたい気持ちは分かるのですが「まるで絵のようだ」という言い回しはとてもありきたりです。

作者が「絵のようだ」と言ってしまわずに、作者が見た光景となるべく近いものを読者にも見せることで読者自身が「ほほう、それはまるで絵のようだね」と思うように仕向けたいのです。

ですからここは「パッチワークのような刈りたての稲田に二羽の白鷺がこんなふうに舞っていたよ」と示すことで(どう?絵になる光景でしょ?)という作者の感想をほのめかすわけです。

例えば「刈りたてのパッチワークの稲田には二羽のしらさぎ軽やかに舞う」など。「二羽の」を「つがいの」としたり「軽やかに舞う」は「楽しげに」とか「くるくると」とか「翼を広げる二羽のしらさぎ」とか読者が白鷺の様子を具体的に想像できる情報が欲しいところです。

 

24・二年ぶり友と待ち合ふ駅前の花屋に並ぶミニシクラメン(畠山)

コロナで会えなくなった友達と二年ぶりに会うことに。いつも同じ駅前の花屋の前で待ち合わせするのですが、店頭にはまたシクラメンが並んでおり会えなくなってから「もう二年か!」と実感したのですが、このままでは「シクラメン」によって「もうこの季節(二年目)か!」という作者の気持ちまでは伝わりにくいということで「花屋に並ぶ」ではなく「花屋にはまた」と変えてはどうかという意見をいただきました。

確かに「並ぶ」はこの場合不要な情報ですね。それより「過ぎた時間」という情報に重きを置きたいので確かに「また」という言葉の方が合っていると思います。

また「二年ぶり」というのが現在は「コロナだから」というのが誰も分かると思うのですが、この歌単体で出されたらちょっと分からないと思うので、前後にコロナ禍を詠んだ歌と一緒に上げたいと思います(笑)。

 

25・アイヌ翁の木彫り面ひとつわが棚に飴色となり十年が過ぐ(砂田)

アイヌの木彫りのお面。十年前に北海道旅行で購入したのか誰かに貰ったのか。それが我が家の棚に置かれてから十年が過ぎ、すっかり飴色になっているのを見て、早いような色々あったような「時間」を感じている作者を思わせます。

 

☆今月の好評歌は8番、金澤さんの

秋の陽に白く輝くススキ見ず坂道下る夫の背遠し

となりました。

ちょっとしたすれ違いから感じた寂しさ、残念な気持ちを絶妙に表現されていますね。

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