短歌厚木水甕 澪の会

神奈川県厚木市の短歌会「澪の会」のブログです

*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見をブログ管理人(畠山)が独自にまとめたものです。各歌の著作権は各作者にあり、ブログ内で例として挙げた歌で著者名を記していないものの著作権は私(畠山)にありますので、そのまま真似してどこかに投稿したりは絶対にしないでくださいね。尚、「こう直したらどうでしょう・こんな感じに歌ってみたらどうでしょう」として書いている歌はその歌の原作者様(各歌の()内の名前の方)に著作権があるものとします。

◆歌会報 2022年9月 (その2)

◆歌会報 2022年9月 (その2)

*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見を畠山が独自にまとめたものです。

 

第124回(2022/9/16) 澪の会詠草(その2)

 

13・夕暮れに風鈴の音のどこからか今日は丑の日うな重あける(小夜)

夏の風情ある生活を楽しむ姿が見える良い歌ですね。1番の蝉の歌もそうでしたが、場面がぐっと絞れてきていて、表現も具体的なものが増え季節感が鮮やかに見えるようになってきました。この調子です!

「どこからか」という語句で読者の意識が「どこから」と探す方に行ってしまいせっかくの「うな重」の場面を弱くしてしまうので、「夕暮れに風鈴の音響きつつ」や「夕暮れに幽かに響く風鈴よ」などとして読者の意識が風鈴の音の出所を探しに行かないまま「うな重」をあける場面に向くようにすると更に良い歌になる気がします。

 

14・初物の栗を頂き舌つづみ猛暑の後に命永らえ(栗田)

初物の栗を人に頂いて美味しく頂き、それで猛暑のあとに命を永らえた。

「初物の栗」という具体的な題材がとてもいいので、それを更に鮮やかに描写したいところです。

「命永らえた」と言っているので、それは「舌つづみ=美味しく食べた」からこそということは分かるので、そこを具体的な情報に変えたいですね。また「人に頂いた」ということは核ではないので省いてもいいかもしれません。

「初物のつやづや丸き栗貰い」や「初物の栗の渋皮煮ほっくりと」など栗についての描写を増やしてみましょう。

また「猛暑の後」「猛暑の後」も少しイメージが変わるので考えてみて下さい。結句は「命永らう」と終止形にして座らせましょう。

 

15・観劇前オープンテラスに娘と二人ワクワク感はさらに高まる(金澤)

作者はワクワクしたのねぇ、ということは分かるのですが、それ以上作者のワクワクそのものに寄れません。

コロナ禍で久々の娘さんとのお出かけだからワクワクしたのでしょうか、コロナ禍で延期していた作品がやっと観れるようになったというワクワクでしょうか、好きな役者さんが出るからワクワクしたのでしょうか、オープンテラスがお洒落でワクワクしたのでしょうか。

そこを絞って読者に情報を投げて欲しいところです。

 

16・密かにも何かいいこと有りそうで白露の朝の目覚め早かり(緒方)

白露(はくろ)=二十四気の一つ。秋分の十五日前、陽暦九月八日ごろで、このころから秋気が進んで露を結ぶとされる。

白露の頃になると朝晩はすっと涼しくなってきて秋を感じるようになりますね。

猛暑ですっかり疲れた後のその涼やかな秋の気配に「密かに何かいいことがありそう」と感じたのでしょうか。朝の目覚めも早かった。

「何かいいことありそう」をその涼やかになってきた朝の風や光の描写などだけで表現できれば最高なのですが、とりあえずこの歌としては白露の朝の具体的な描写がもう少し欲しいところですね。

また「有りそう」とすると「いいことが有りそうなので〇〇した」と意志を持った行動が来るべきかと思います。

それよりも「いいことが有りそう」として白露の朝の具体的な描写を入れた方が良いのでは、と思います。

「白露の朝に薄く月あり」「白露の朝の風ひんやりと」「白露の朝は白々と空」など白露の朝にイイ感じの描写を考えて見てください。

 

17・盆踊り終えて朝の広場には提灯小旗余韻残せし(名田部)

盆踊りを終えた翌朝の広場には提灯や小旗などが昨夜のお祭りの余韻を残している。

賑やかでキラキラしていたお祭りの会場も翌朝見ると楽しい時間が終わってしまった寂しさのような、いつもの生活がまた始まったという安堵のような何とも言えない雰囲気を出していますよね。

歌の場面の切り取りはとても良いと思います。

その「何とも言えないような」気持ちを「余韻」と一言で言ってしまったのが少し惜しいですね。

盆踊りの翌朝の情景を淡々と描くことで読者にその「余韻」を感じさせて欲しいです。

「盆踊り終え朝の広場には」として「褪せた提灯小旗の揺るる」「提灯小旗のぶらりと下がる」などと情景の描写のみでまとめてみてください。

 

18・黄金は手にせぬままに齢古りてジパング倶楽部をけふ退会す(小幡)

ジパング倶楽部とはJR東日本の割引特典のある年配者向け会員制クラブ。マルコポーロの「東方見聞録」に因んで、とのことです。

三割もお得になるということで、作者の実家のある東北へ帰省する時などによく利用していたそう。それがコロナにより中々帰省もできなくなり、また年齢的にもあちこち旅行するには体力が…ということなど色々と考えた結果退会を決めたということ。

ただサービスをあんまり使わないから辞めるという訳ではなく、“もうそんなに遠くまで出かけられないわ”と旅行というある程度元気がなければできないような行動からの引退を決意したという部分がポイントだと思います。

ただ注釈がなければ「ジパング倶楽部」というものが分からず、またそれが鉄道のサービスだと分からなければ「遠出の諦め」という核が伝わらなくなってしまうので、長くなっても「JR」は外せないのでは、と思います。

「黄金は手にせぬままに」は具体的な描写ではなく、また意味的にもほとんど利用しなかったから退会したのかしら、とも取れてしまうので、ここを削って「〇歳の誕生日過ぎJR~(年齢のせいで)」とか「三年も帰省せぬままJR~(コロナのせいで)」とか退会を決めた理由を詰めてその分「JR」を入れて「ジパング倶楽部」というのが鉄道サービスなんだなと注釈なしで分かるようにした方がいいのではと思います。

 

19・抗癌剤飲み込み後の苦しさに食事もせずに寝りこむ妻は(山口)

抗癌剤は癌細胞を叩くために健康な細胞も叩いてしまうのでとても体に負担がかかりつらいようですね。

抗癌剤を飲んだあとのつらさに食事もしないで眠り込んでしまった妻。

この歌も感情を抑えて事実で描写しているところは良いので、あとは表記の問題ですね。

「飲み込み後の」は「飲みたる後の」、「寝(ね)りこむ」とは言わないので「眠(ねむ)りこむ」、「妻は」の「は」は切って「眠りこむ妻」と体言止めにして音数を合わせましょう。

 

20・湯気昇る麺を一気に冷水へ冷やし中華へ無慈悲な行い(川井)

何でもないような家事一コマの捉え方が非常にユニークですね。「無慈悲な行い」で思わずぷっと吹き出してしまいます。

人間は5℃も変われば暑いだの寒いだのずいぶんと違うのに、熱々の熱湯から冷水へと一気に環境を変えられるとか、冷やし中華にしてみたらなんて無慈悲な行いかしらと麺の立場になって考えてみる作者の感覚が個性的で光りますね。

結句だけに「行い」だと一字字余りになってしまうのが惜しいといえば惜しいですね。作者もそこは悩んだらしく「仕打ち」「行為」等入れてみたけれど「無慈悲」が強い言葉だから強すぎて短歌的でなくなってしまうのではと考えた結果「行い」にしたそうです。

読んでみた感じも「行い」のままでもそんなに読みづらくなく字余り感もないのでいいかな、とも思いますが、「仕打ち・行為」も(やや短歌的ではないですが)この歌に関しては面白味が増していいかな、と思います。

無意識の字余りではなく考えた結果の選択なので、最終的には作者の好みで選んで正解だと思います。

 

21・羊雲稲穂みのりて川べりは大気さやかに秋へすり足(飯島)

川べりを行く作者を包む景色から秋の気配を感じている歌ですが、様々なものから秋の気配を感じている分焦点が絞れていない感じがします。

羊雲・稲穂・川べり・大気(風)と視点が動きまくってしまい、なかなか具体的な場面が思い描けません。稲穂なのに作者がいるのは畦道とかじゃなくて川べりなの?という疑問もわいてしまいます。

どれもがざっと色塗りをしたような状態で、近付いてよく見るとデッサンが甘い絵のようになっています。

色々なものから季節を感じるのは分かりますが、何せ三十一音しかないのでなるべく一首には一つの主役に絞って、その分歌の数を増やしてください。

それぞれをよく見れば「羊雲」「稲穂」「川べりの風」で三首作れると思います。高くなった空にぽっかり浮かぶ羊雲、粒がふくらんだ(または少しずつ色付いてきた)稲穂、袖口を抜ける涼やかな川べりの風など一つ一つに寄って観察すれば出て来る描写があると思います。

また秋へ少しずつ近付いて行くことを「秋へすり足」と表現していますが、それぞれの主役の状態を具体的に描ければ「秋が近付く」「少しずつ秋」などと何でもない表現の方が活きてくると思います。

 

22・眠れない夜に鳴き出した蝉たちにお前もそうかと床に静もる(鳥澤)

意外と深夜にも蝉って鳴いたりするんですよね。貴重な最期の時間だものなぁ、頑張ってるなぁ、と思ったりします。

眠れない夜に鳴きだした蝉に「お前もそうか(眠れないのか)」と自分を重ねている作者。

「お前そうか」ということは作者も眠れない、寝付けないわけですから「床に静まって」しまうのは少し違和感がありますね。

「寝返りを打つ」「床に息吐く」など寝付けない様子を描いた方がしっくりくると思います。

 

23・枡掛けの手を握りしめ生きた頃娘(こ)と手をつなぎ夢を実現(戸塚)

枡掛けの手とは手相における「ますかけ線」を持つ手ということだと思います。ますかけ線は感情線と知能線が繋がって一本の線になっている手相で強運の相とされています。

上の句ではそんな強運とされる線を持ちながらもそれを握り締めて(苦労して)生きてきたのかな、と思わせますが、「生きた頃」の話かと思えば下の句でいきなり娘と夢を実現と話が飛び、実現した夢も何なのか全く見えてこないためよく分からない歌になってしまっています。

「生きた頃」と「夢を実現」が特に話を曖昧にしてしまっています。

枡掛けで強運なんて言われる手相だけれどこんな(具体的に)苦労をして生きた時代もあった、という部分でまとめるか、枡掛けの強運を信じて娘と手を繋ぎ(二人で)こんな(具体的に)夢を叶えた、という部分でまとめるかに決めた方が良さそうです。

 

24・落ち蟬は祈るごと手をしかと組み空仰ぎつつ命終へをり(畠山)

夏も終り頃になると力尽きて落ちている蝉がいますよね。もう死んでいるのかな、と箒でつついてみたりすると案外「ヂッ!」とか鳴いてびっくりしたりすることも。因みに完全にお亡くなりになっている蝉は脚がきゅっと閉じているようです。

私が見かけた落ち蝉も完全に仰向けできゅっと脚を閉じていました。その様子に「一つの命を生ききった」切なさとある種清々しさのようなものを感じました。

ヒトが死んだ時に胸で手を組ませるかのようにきゅっと脚を閉じているのが印象的で「祈るごと手をしかと組み」としたのですが「祈るごと」という比喩があるので「しかと」が少しくどいと感じるようです。

また「空仰ぎつつ」の「つつ」がやや説明過剰なので「空を仰ぎて」と状況の描写を淡々とした方が良いのではということでした。

 

☆今月の好評歌は5番、名田部さんの歌を少しだけ直して

朝早く通りすがりの家の前幽かに匂う線香の香よ

となりました。朝からきちんと仏様に線香を上げる民家の信心にふと触れた一瞬が見えてきて良い歌ですね。

個人的には「余韻」の部分を何とかすれば盆踊りの翌朝の歌はこの歌より更に詩情がありよくなるのでは、と思うのでそちらも期待です。

by sozaijiten Image Book 3