◆歌会報 2023年12月 (その2)
*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見をブログ管理人(畠山)が独自にまとめたものです。各歌の著作権は各作者にあり、ブログ内で例として挙げた歌で著者名を記していないものの著作権は私(畠山)にありますので、そのまま真似して投稿したりは絶対にしないでくださいね。尚、「こう直したらどうでしょう」として書いている歌はその歌の原作者様に著作権があるものとします。
第139回(2023/12/15) 澪の会詠草(その2)
11・八十路坂私事には触れぬ賀状書く「天を衝け平和な世界昇り龍」(山本)
「私事には触れぬ賀状書く」の部分はとても良いと思います。
ただ「八十路坂」という言い回しが少し俳句っぽいかなと思います。俳句なら「八十路坂私事には触れぬ賀状書く」で一句としてまとまっているのではないでしょうか。
ただ短歌では(特に初句ですし)「八十歳」「八十路にて」などとして、あまり一語で強い印象を持つ言葉を持ってこない方がいいと思います。
また下の句が七七である部分に五七五が来ていて、全体で五七五五七五と定型から大きくずれてしまっています。
短歌には季語などがない分、五七五七七という定型は短歌が短歌であると言える大事な基準ですから、あまりに崩れてしまったらそれは短歌とは呼べなくなってしまいます。
せっかく五七五になっているのですから
「天を衝け平和な世界昇り龍」私事には触れぬ賀状書きおり
と五七五である上の句に持ってきてはどうでしょうか。
12・夏過ぎて寒波の兆しにあたふたと冬のすきまに秋を手探り(小夜)
本当に今年は夏が長いなぁと思っているうちにいきなり寒波がきて冬になり、秋はどこにいっちゃったのよ!という感じでしたね。探さなきゃ見つからない秋(笑)。
「兆しに」「すきまに」と「に」が被っているのが少し気になるので
「寒波の兆しに-冬のすきまへ」とするか「寒波が兆し-冬のすきまに」として被りを解消しましょう。
また結句は「手探る」と終止形にして落ち着かせましょう。
「あたふたと秋を手探る」という作者の感覚が面白いですね。最近場面の絞り込みがとても良くなってきていると思います。
特に今月一首目のピアスの穴という題材は素敵でした。この調子で小夜さんらしい歌の場面を見つけてくださいね。
13・小鮎川名前のとおり小さき鮎群れて堰こえ相模川へと(名田部)
この歌も一首目の薄の歌と同じでよく見ているのですが、薄が「ふくらんで、ゆすられ」と状況の移り変わりを説明してしまっているように、ここでも「群れて、堰をこえ」と移り変わり(時間の流れ)を説明してしまっているのが惜しいところです。
〈小鮎川〉名前のとおり小さき鮎きらきら堰こえ相模川へと
のように、「これがこうしてこうなった」という説明でなく、「これがこんな様子だった」という言葉を探して欲しいと思います。
場面の切り取りはとても良くなってきているので、あと一息です!
14・日没の日の煌めきに命みる 杖つく足に力を貰う(飯島)
杖つく足に力を貰うほどの煌めきなので神々しいとか強い煌めきなのではないかと思いますが、残念ながら「命みる」という言葉だけでは、その景色を実際に見ていない読者にはその煌めきが見えてこないと思います。
夕焼けの赤さに血液の印象を見たのかもしれませんし、金色に何かが生まれるような神々しさを見たのかもしれません。
どんな煌めきだったのでしょう。色は?範囲は?
その辺りが見えてくると杖をつく足にも力が宿るような景色が読者にも見えてくるかもしれません。
15・セーターを着たり脱いだりの小春日に友より届く愛媛のみかん(大塚)
「セーターを着たり脱いだりの小春日」と「愛媛のみかん」という具体がとても効果的で良い歌ですね。
「セーターを~」でその日作者が感じた温度感が読者にもすっと伝わりますし、「愛媛のみかん」が届いた時の作者の嬉しさもぐっと身近に感じますよね。これが「歳暮のみかん」とかだったらちょっと嬉しさは下がりませんか。愛媛がいいんですよ、愛媛が(笑)。
文法的に引っかかるところもありません。とても良い歌だと思います。個人的には今月一番好きな歌です。
16・対岸のビル屋上の看板が西日を受け止め輝き返す(川井)
特に感情などを語っていない風景詠なのですが、しっかりとした描写により、忙しい日常の雑事の合間にふと息を吐いた一瞬の緩みのような時間を感じられる良い歌だと思います。
ただ西日を反射して返すのではなく、「受け止め」という部分が秀逸だと思います。
無理がなく誰にでも分かるごく普通の言葉でありつつ、しっかりと的確に描写する。簡単に出来そうで意外とこれが出来ません。言葉はツールですから他人に伝わってナンボです。私もちゃんと他人に伝わる言葉を選んでいかないとな、と思います。
17・あら私箸まちがえてしまったわそうだったのかと苦笑をしたり(緒方)
箸というものに対する男性的な無頓着さが現れていて面白い歌だと思います。
「あら私箸まちがえてしまったわ」と妻に言われて初めて「そうだったのか」と気付いて苦笑するあたり、男性にはよく分かるのではないでしょうか。
箸立てにまとめて立ててある中から自分の箸を選んで使うようなシステムの家ではちょっと分からないかもしれませんが、食事が並び、取り皿や箸が各自の前までそれぞれ準備されるような場合、その準備をするのは大抵妻で、夫はそうやって用意されたものを使うだけ、という家が多いのではないでしょうか。
その場合、夫は箸などにいちいち注意を向けておらず、自分の前に置かれたものを自分のものとして何の気なく使っていたりするのではないでしょうか。
そういったごく一般的な家庭にある、何の気ない男女格差のようなものが見えて中々深い歌だなぁと思いました。
「あら私箸まちがえてしまったわ」の部分は「」に入れてしまうか、「」を使わないなら「しまったわ」の後に一字空白を入れた方が読みやすいのではないでしょうか。
18・艶やかな卵を割れば黄味ふたつ小さな奇跡あるやも今日は(小幡)
読みやすく、思い描く場面に迷うところが何もありません。ごく自然に作者に同化できる良い歌ですね。
ただ卵の黄身の漢字は「黄身」だと思います。
上手い歌なので何も言うことはありません(笑)。
19・家並をつき抜け空へ公孫樹の黄あの下にある境内うかぶ(鳥澤)
家並を突き抜けて立つ公孫樹ですから、かなりの大公孫樹ですね。あの下には神社の境内があるのよね、と作者は思うわけですが、「境内うかぶ」だと「あの下には境内があるのよね」という知識しか読者に伝わりません。「あの下にはどんな境内がある」という情報が入ると作者の境内に対する思いが見えてぐっと良い歌になるのでは、と思います。
それを入れるには上の句を少し削らなければ入らないかもしれません。
家並にそびえる公孫樹の黄の下に娘と遊びし境内のあり
などとすると境内へのイメージがぐんと見えてくるような気がします。
逆に家並を突き抜けて立つ公孫樹の姿の方を主役にしたい場合は「その下には境内がある」という情報は取っ払ってしまい、公孫樹だけを主役に据えて詠んだほうが良いと思います。
20・トゥルリラと彼専用の着信に頬を染めたる女子大生よ(畠山)
友達の娘さんを見て微笑ましいなと思って詠んだ歌ですが、今一つ作者の感情が見えてこないと言われてしまいました。
まぁ私は部外者なので「微笑ましいな」としか思わなかったのですが、親である友達の目線で見たら複雑かも、と思って場面を見直してみました。
トゥルリラと彼専用の着信へ頬染める娘(こ)を父は横目に
としたらどうでしょうか。
「着信に」のままだと「横目に」と「に」が被ってしまいますが、「横目に」は「横目に見る」という省略した動詞に繋げるために変えられないので、「着信へ」と変えました。
私には子供がいないので娘や息子に彼氏彼女ができる親の気持ちというのは実際には分かりませんが、家族というコミュニケーションの中から子供が離れていってしまう一歩手前の感じには色々複雑なものがあるのではないでしょうか。
☆今月の好評歌は13番、名田部さんの
〈小鮎川〉名前のとおり小さき鮎きらきら堰こえ相模川へと
(修正版)となりました。
決まった場所で決まった時期にしか見られない光景です。小さい鮎が何匹もきらきらと堰を跳ねて超えていく様子が読者にも見えてきますね。小鮎川という名前のとおりだ!という捉え方が作者らしくて良いと思います。