短歌厚木水甕 澪の会

神奈川県厚木市の短歌会「澪の会」のブログです

*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見をブログ管理人(畠山)が独自にまとめたものです。各歌の著作権は各作者にあり、ブログ内で例として挙げた歌で著者名を記していないものの著作権は私(畠山)にありますので、そのまま真似してどこかに投稿したりは絶対にしないでくださいね。尚、「こう直したらどうでしょう・こんな感じに歌ってみたらどうでしょう」として書いている歌はその歌の原作者様(各歌の()内の名前の方)に著作権があるものとします。

◆歌会報 2022年4月 (その2)

*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見を畠山が独自にまとめたものです。

 

第120回(2022/4/15) 澪の会詠草(その2)

 

11・徒歩十分コンビニにぎりのお花見は初老夫婦のささやかな宴(金澤)

距離は徒歩十分、お弁当はコンビニのおにぎり。そんなちょっとしたお花見が初老夫婦のささやかな宴だ。

コロナ禍もありお花見の名所などにはまだまだ行きづらい今年。それでもちょっとコンビニでおにぎりを買って近所に一緒に桜を見に行く仲の良い夫婦像が見えますね。

ススキは見ずに先に行ってしまった旦那さんですが(笑)、桜は一緒に楽しんでくれたようです。

ちょっとした喜びを共有できる素敵な夫婦像を歌う核はとても良いのですが、「ささやかな宴」と言い切ってしまったのが惜しいところ。

徒歩十分の近場にコンビニのおにぎりという質素で小さなお花見だけれど、それを楽しめる仲の良い初老夫婦像の描写だけで抑えたいですね。

「コンビニにぎり」は「おにぎり」の「お」がないとちょっと苦しいかなという気もするので「ささやかな宴」を言わない分語句の位置を変えるなどして工夫してみて欲しいですね。

徒歩十分コンビニおにぎり三個買い初老夫婦の今年の花見

勝手な創作ですがこんな風にしてみると、旦那さん二個で奥さん一個かしら、小食ね、とか四個にして具の好みも似ていたりしてとか、「宴」と言わずに一緒におにぎりを選ぶ仲の良い夫婦像なんかも想像させられたりするかもしれませんね。

 

12・解体に巨大重機の破壊音駅周辺に鈍く伝わる(川井)

2番の昭和に栄えたビルの解体の歌の連作ですね。

ビルと同時に一つの時代をも壊し解体していくような重い響きを想像させます。

この歌も寂しいだとか残念だとか感情的な言葉は一切使っていないのですが、具体的な描写からそこにある郷愁、寂しさ、不安感などが共感できますね。

駅周辺のビルの解体ならば古臭いビルが無くなって新しく便利で明るい街並になるかもしれないのですから、「そのビルが栄えていた時代」に思い入れのない人なら同じ光景を見ても全く違った描写になるでしょう。

でもこの作者の描写からは「街が新しくなるわ~」ではなく「あぁ、あの頃が壊されてゆく…」という深い感傷を感じ、失われてゆくその「時代」にまで思いを馳せますね。

読者を作者と同じ心理に持っていく、とても良い歌だと思います。

歌の形としては「解体に」でなく「解体の」、また「破壊音駅周辺」と助詞がなく漢字が続く部分が少し気になるので「駅の周りに」「駅の周りへ」としてはどうでしょうか。

また「破壊音~伝わる」は「している(しており)」「響けり」「響ける」などとも変えられるので考えてみてください。

 

13・夕食にと細きカマスを割きおれば小魚二匹姿現し(栗田)

夕食に食べるために細いカマスを捌いてみたらお腹から小魚が二匹も出てきた!と驚く作者。

食物連鎖を感じますね。命を命が食らう無情さなどもふと考えてしまいます。

普段はそんな事を忘れて食べていたりしますが、二匹の小魚が姿を保ったまま現れたことで、巡る命というものにハッと気付かされた気がしますね。

歌の形としては「割きおれば」がやや気になるかなというところ。確かに「魚を割く」とは使いますが「割いてみたら」を「割きおれば」と文語調で硬く言うより「捌(さば)く」という言葉にして「捌ければ」「捌いたら」の方が日常のふとした驚きを歌ったこの歌には合っていると思います。

また結句は「現す」と終止形に。「現し」だと「姿を現し、どうした」と文が続きます。実際「姿を現し、驚いた」ので「し」で止めてしまったのかもしれませんが、短歌では「驚いた」という感情は言葉にして歌ってしまわない方がいいです。その「驚いた」は「驚いた」という一言で済むものではなく、そこにはさっき挙げたような食物連鎖だとか命を食らうということへの気付きなどの複雑な感情があり、それこそが作者の言いたいことであるはずだからです。

作者もそこはグッと堪えたのでしょうが堪えきれず連用形になってしまったところが少し惜しいですね(笑)。

 

14・若人よ すごい・かわいい許りでは聢(しっか)り日本語使ってたもれ(緒方)

若者たちよ、すごい・かわいいばかりの会話では困る、しっかり日本語を使ってくれよ、という老人の嘆きの歌ですね(笑)。

確かに若者の会話の多くがヤバい、スゴい、かわいいなどで構成されている昨今ですね。

私個人的には中でも「ヤバい」の意味の多様化の速度が恐ろしいと感じます。以前は「危険だ」という意味合いを持つ物事に対して使われていたと思うのですが、今や良い悪い危険関係なく「心が大きく動かされること」に対し使われているフシがあるように見えます。

ビクッとしたり、ドキッとしたり、ゾクッとしたり…ビックリした、ときめいた、悪寒が走ったなど心が大きく動かされることを表すにも様々な日本語があるにもかかわらず全てを「ヤバい」でまとめてしまうということはそれだけ語彙が減り、本当に適切な感情を表す言葉が衰退してしまうということです。

言葉は人が他人へ「心」という知覚不能なものを理解できる形にして伝える「道具」ですから、より使いやすいものへと変遷してゆくのは必然であり、「道具」の形を保つために使いにくいまま使用を強制されるのは間違っていると思います。けれど元の道具には出来ていたことが出来なくなるという道具の「劣化」は避けるべきですよね。

スポーツ選手がルールや道具を大事に扱うべきであるように、職人が安全や道具を大事に扱うべきであるように、少なくとも短歌に携わる人は一般の人より気を付けて「言葉」というルールと道具を大事に扱っていかないと、ですね。

さて、歌の形としては空白の入れどころが気になるところでしょうか。

「許(ばか)りでは“困る”」という意味が省略されていますから、そこを空白にして

若人よ「すごい・かわいい」許りでは 確り日本語~としてはいかがでしょう。

また窘める側として敢えて難しい言葉をということで「許り・聢り」を使っているのかなとは思いますが、「聢り」などは普通にワープロ変換しても出ませんし、すごい・かわいいばかりの若人は元より多くの人に伝わらないという不毛な結果になりかねません。ここは「しっかり・確り」など常用の表記で良いのではないでしょうか。

 

15・葉牡丹は春色スカート重ねつつ少女のように背を伸ばしゆく(鳥澤)

お正月頃に手に入る数少ない華やかな植物として葉牡丹を買うと、寒い時期には鮮やかだった色は徐々に淡くなり、春には真ん中の茎がぐんぐん伸びてツリー状となり菜の花のような黄色い花を咲かせます。

そんな春の葉牡丹の姿を歌った歌ですね。

淡くなった葉が裾に広がる様子を「春色スカート」と捉える視線が素敵です。夢見る乙女度というかメルヘンチック度が高い表現のため、こういった表現が多用される作風だとくどくなってしまう危険もあるのですが(レースふりふりの乙女ファッションテイストとなり、一部根強いファンがいる一方一般受けはしない感じ)、たまにちらっと出てくるととても華やかで優しい歌となり光ります。

「少女」と「背を伸ばす」がややしっくりこないという意見も出ました。実際は少女でもグングン背が伸びてビックリするものですが(笑)、確かに…グングン背が伸びるのは少年ならピンと来る印象ですが少女だと「強調すべきところはそこかな?」という気がしないでもありません。

結句に来ていることもあり、春になってぐんぐん背が伸びる面を歌いたいのではという意見もありましたが、「春色スカート」が効いているので「葉牡丹が春になってぐんぐん伸びる様子」よりも「春色スカートを纏った少女のような様子」を核としたいのではと思い、四句と結句を入れ替えて、更に「背を伸ばしゆく(時間経過の情報)」より「背筋を伸ばす(状態の情報)」を入れ「背筋を伸ばす少女のように」と流してはどうでしょうか。

 

16・踏み出せる脚と杖とのタイムラグ 想定越えて今日の五千歩(小幡)

杖を使っての歩行にまだ慣れておらず、踏み出す脚と杖にタイムラグが生じ思うように進めない。そんな中今日は想定を超えて五千歩歩いた。

という歌ですが、「今日の五千歩」が「想定より多くて」驚いたのか、「タイムラグ」が「想定より酷くて」「五千歩しか」歩けなかったと嘆いているのかで悩んでしまいました。

「タイムラグも」と助詞を入れたり、「想定越えて五千歩達成」や「今日は漸く五千歩を越す」などだと意味は分かりやすくなるけれどいささか説明的でしょうか。

「一日八千歩推奨」などと言われているように、一般的には五千歩というのは多くて驚く数値ではない印象ですね。でも足腰を痛めている人にとっては中々の数値。そのため五千歩が人によって多いとも少ないとも取れるところが難しいところだと思います。

 

17・リサイクルショップで靴とコート買う傘のお負けにレジ袋只(名田部)

リサイクルショップで靴とコートを買ったらオマケにと傘を貰った上にレジ袋もタダだった。

まず歌の形としては「オマケに傘とレジ袋まで」(どちらもタダで貰ったのだからオマケとしてまとめてしまいたい)とした方が良いというのがありますが、それ以前に歌としてさすがにちょっと詩的情緒が無さすぎるかなという問題があります。

確かに短歌は美しいものばかりを歌うのではなく、自分や社会の暗い部分をも見つめ歌い上げるととても良いものになるし、風光明媚な風景だけでなくもっと身近な日常をよく見て歌えと言ってきたので素直に「日常」を歌ってみたのかもしれません。

その素直さはとても素晴らしいことだと思います。いやいや私は花鳥風月をカッコ良く歌いたいのよ!と意地を張ってしまう人の方が多いですから。ちゃんと「日常」にあったことを「素直に」詠もうとした姿勢は二重丸です。

ただ「ちょっと聞いてよ、傘がオマケになって、昨今有料のレジ袋がタダよ、タダ!」という題材はお茶飲み友達や井戸端会議の話題としてはオイシイかもしれませんが「歌」としては些か情感に欠けると思いませんか。

そこに「モノの価値が落ちたなぁ」とか「レジ袋の数円が気になる程日本経済厳しくなってきたなぁ」とか何か「憂う気持ち」みたいなのがあってそれが表現されていれば歌になるかもしれませんが、この歌は「いや~、お得だったわ~」という短絡的な喜びで終ってしまっています。

自分の目で見たもの=日常を見ようとする方向性はそのままに、日常の中に紛れている「詩的」な一瞬や何気ない日常の裏にある問題を詠めるように頑張ってみてください。

 

18・ロマンスカー新宿までのオフィスに青年の指電卓を舞う(大塚)

ロマンスカーを新宿に着くまでのオフィスにして、仕事をする青年の指がパソコンのキーボードを舞う。

事務作業はすっかり電子がメインになった昨今の風景を歌った時代詠ですね。

「新宿までのオフィスかな」「オフィスなり」として切るか「オフィスにし」「オフィスとし」として繋げないと音数的にも文法的にも足りない感じです。

また常々「カタカナを多用するな。なるべく2つくらいまで」と言っているため「パソコン」を「電卓」としたようですが今や「パソコン」と「電卓」では別物をイメージしてしまいますね。イメージする人物像も両手でカタカタカタッターン!と小気味よくキーボードを打つ姿と電卓でピポパポピと出張費を計算している姿ではまるで印象が違ってしまいます。カタカナ3つになりますがここは「パソコン」にしておきましょう。

また「事実のみを述べ感情を直接言ってしまわない」ことは重要なのですが、「事実のみを述べているのに作者の感情が分かる(そして一つの単語では言い切れないその感情が伝わってくる)」という事こそが重要です。

しかしこの歌では作者の感情がちょっと薄いかなと感じます。「舞う」と見た部分から「青年をパリッと仕事の出来るカッコイイ若者」として見たのかなと読めますが、そここそをもっと突き詰めて作者らしい言葉で表現して欲しいかな、と思います。

「新宿までの」はいらないかもしれません。この場合「ロマンスカー」や「新宿まで」という説明より、電車をオフィスにしてパソコンを打つ現代風の仕事をする青年への作者の眼差しこそが歌の核なのでは、と思います。勝手な改変ですが例えば「特急はオフィスと化せり青年の指軽やかにカタカタタッターン」とか「青年のパソコン打つ音しずかに響く」「青年はノートパソコン小気味よく打つ」などとして「ロマンスカー」や「新宿」を抜いてしまっても作者の伝えたい光景は読者に伝わるのではないでしょうか。

その固有名詞が生きているかどうか、「具体」を描こうとして「説明」を書いていないか見直してみましょう。

 

19・カレンダーに予定の増えて四月から漸く始まる令和四年よ(畠山)

今年は三が日が明けてすぐの頃からコロナの感染者数が増え、一月中旬前には再びまん延防止重点措置が発令され、昨年末に一旦「まん防」が解除されてちょこちょこ入り始めていた予定などに「中止」の二重線を引く日ばかりでした。

感染者は増え続け、二月三月の予定は白紙に。

そんなカレンダーに漸く予定が入り始めたのが四月。あぁ漸く「今年」が始まったかな、という感じを歌ってみました。

 

20・佇みて葉音の中の戯れを一人両手に抱きしめる秋(小夜)

森か林か公園か。たった一人、静かな木立の中に佇んで、秋の乾いた葉音をそっと包み込むように抱きしめてみる作者を想像します。

この作者の歌はポエム的で絵本の挿絵になりそうな雰囲気の物が多いですね。いわさきちひろ風な。それは作者の「らしさ」なのでそういう物事の捉え方は失わないで欲しいのですが、15番の「春色のスカート」でも述べたようにあまりフリフリ甘く乙女チックばかりだと、一部固定ファンは付くかもしれないけれど、よく見たらデッサンが今一つであまり他の人には伝わっていない「雰囲気だけ作家」となってしまう危険性もあります。

雰囲気だけにならないよう、心がけて欲しいのが「具体」です。

まだまだ短歌を始めたばかりなのにちゃんと音数も合わせているし、場面の切り取りも出来るようになってきているので、今は十分の出来の歌です。この調子で五七五七七の調べに慣れてください。作者が「いいな」と思った情景を文字にする。そこがまず大変なので、それが出来ていて尚且つ五七五七七にまとめられるのはすごいことです。

そこに慣れてきたら少しずつ「具体」を入れる練習をしてみてください。どこに佇んでいるのかな、どんな葉音かな、作者の気持ちは寂しいのかな、それとも静かな時間を楽しんで満ち足りた感じなのかな、そんなことが読者に伝わるには「具体」が必要です。

歌のかたちとしては「一人両手に」を「両手に一人」と入れ替えてみてはどうでしょう。ちょっと雰囲気が変わりますよね。

 

☆今月の好評歌は12番、川井さんの

解体に巨大重機の破壊音駅周辺に鈍く伝わる

となりました。

具体的な描写のみで重く寂しい複雑な作者の心理を表現した良い歌ですね。これから少し表記など見直してみるそうです。

by ta2m1 (photoAC)