短歌厚木水甕 澪の会

神奈川県厚木市の短歌会「澪の会」のブログです

*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見をブログ管理人(畠山)が独自にまとめたものです。各歌の著作権は各作者にあり、ブログ内で例として挙げた歌で著者名を記していないものの著作権は私(畠山)にありますので、そのまま真似してどこかに投稿したりは絶対にしないでくださいね。尚、「こう直したらどうでしょう・こんな感じに歌ってみたらどうでしょう」として書いている歌はその歌の原作者様(各歌の()内の名前の方)に著作権があるものとします。

◆歌会報 2023年9月 (その1)

◆歌会報 2023年9月 (その1)

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第136回(2023/09/15) 澪の会詠草(その1)

 

1・今日からは八十歳の仲間入りグランドオープン転ばぬ速さ(山本)

上の句はとても良く分かります。単純に「今日から八十歳」というのではなく、「仲間入り」とするところが自己を少し突き放して見た捉え方で面白いと思います。「仲間入り」とすることで、八十歳という年齢を不安もありつつも意外とポジティブに捉え、世間一般の八十歳のイメージよりずっとアクティブであろう作者像が浮かびます。

ただ下の句が少し分かりにくいかと思います。グランドオープン(新規開店)の店に転ばない程度の速さで駆け込む、という状況だと思うのですが、この場合やはり助詞の「に」か「へ」が必要かと思います。けれど「グランドオープン」だとこれだけで八音になってしまい助詞を入れると九音となりちょっと厳しいので、「オープンセールに」「新規開店へ」としてみてはどうでしょうか。

これからはオープンセールに行くにして転ばないようにしなくちゃ、という意味で「オープンセール」としてもいいかもしれません。

そして結句の「転ばぬ速さ」も字余りにはなりますが「転ばぬ速さ」などの助詞が付かないと暗黙の了解で省略されている「駆け込む・走り込む」という動詞に繋げることができません。

「オープンセールも転ばぬ速さに」「新規開店へ転ばぬ速さに」としてはどうでしょうか。

 

2・玄関の取手のそばに糸とんぼふわりふんわり夫に似ている(大塚)

「ふわりふんわり」という糸とんぼの表現がいいですね。

ただこの「夫」はやはりこの一首の中で「亡夫」だと分かった方がいいと思います。

今は亡き夫を糸とんぼという細く儚い命がふわりふんわりと飛ぶ姿の中に見ることで「ひょっとしたらあの人が姿を変えてちょっと逢いに来てくれたんじゃないかしら」という作者の寂しさ、切なさがぐっと迫って来ますが、「夫に似ている」だと物腰柔らかで優しそうなご主人がいらっしゃるのね、と読まれてしまうかもしれません。

「亡き夫がいる」「亡夫(つま)の来ており」などとしてみてはどうでしょうか。

「ふわりふんわり」の中に、優しそうなご主人との色々な想い出が見えてくるようで切ないけれど素敵な歌ですね。

 

3・赤トンボサンバイザーにつと止まりだまって告げし消えゆく夏を(小夜)

こちらは赤とんぼ。カタカナだと「サンバイザー」に続き読みにくいので「赤とんぼ」「赤蜻蛉」など表記を変えましょう。

また「だまって告げし」というと過去のこととなる上に「告げし日・告げし夏」など名詞に続かないと文法的に誤りです。

また「消えゆく夏を告げる」というのは想像による描写(実際にとんぼがヒトに意識的に何かを“告げる”という事は無いため)なので、更に「だまって」というとんぼに意思を持たせる表現は少しくどいかな、と思います。

「告げているかも消えゆく夏を」「消えゆく夏をしずかに告げる」などとしてみてはどうでしょうか。

赤とんぼがサンバイザーにつと止まった一瞬、という焦点の絞り方はとても良いと思います。

 

4・用終えて外は土砂降り雨宿り小雨に家路へ着けば青空(栗田)

丁寧なのですが、丁寧な「解説」になってしまっていると思います。良い絵はその作品が描かれた経緯や場面や事情の説明がなくても、その絵だけで見る人を引き込みますよね。歌も作者がハッとした場面を一枚の絵として描くように、そして絵の脇に注釈を付けるのではなく、絵(一瞬の場面の描写)自体を丁寧に描けるようになりたいものです。記憶の中でどこを描けば一番印象的かな、と探してみてください。

ここはやっぱり「家に着いたら青空」が一番印象的な場面ではないでしょうか。青空の対比として「土砂降り」も外せないでしょう。

土砂降りに雨宿りしつつ家路ゆき着いたとたんに真青な空

とか、土砂降りからの青空、という場面だけでまとめられないか考えてみてください。

 

5・からし蕾を持つも猛暑日に花咲かせずに自らが枯れ(飯島)

ヤブガラシ

ja.wikipedia.org

藪を枯らすほど生命力が強い、という蔓植物である「藪枯らし」ですら今年の暑さに耐えられなかったようです。

「藪枯らし」と書くと結句の「枯れ」と被るということで「藪からし」と表記したのかな、と思いますが、位置も離れているしここは漢字にしてしまった方が分かるかなぁという気がします。

また連用形の「枯れ」では結句が落ち着かないので「自ら枯れる」と終止形にしましょう。

藪を枯らすという名を持つのに、藪を枯らす前に自らが枯れてしまった、ということを言いたいのだと思いますが、「自ら」と言ってしまうのは少し理屈に傾いているかなぁという印象も受けます。

藪枯らしが猛暑に、小さく・萎んで・蔓もへにゃりと・花開かぬまま,、枯れてしまった、として藪を枯らすという名のようには勢力を伸ばせずに枯れてしまった、という事は匂わすくらいで止めておいた方が歌としてはいいのかも、と思いました。余裕があれば二首目として考えてみてください。

 

6・欠氷抹茶の山にミルクかけ白玉と餡のせさくさくと(名田部)

「かき氷」は確かに漢字では「欠氷」と書くのですが、一般的ではないので違和感の方が先に立ってしまう気がします。ここは誰もが商品名として見たことのある「かき氷」という表記でいいのではないでしょうか。

また「抹茶の山に~餡のせ」まではとても丁寧なのですが、4番の歌と同じで丁寧な解説になってしまっていると思います。

この歌の核は色々乗せた豪華な「かき氷を食べることで夏のひと時を楽しむ作者」なのではないでしょうか。

かき氷に何をどの手順で乗せたかが核ではないと思います。

その核である部分が「さくさくと」の五音しかないのは少しバランスが悪いですね。「さくさく旨し」など、結句七音しっかり使いたいところです。

なので何を乗せたか、如何に豪華なかき氷にしたかは四句までで上手くまとめましょう。

かき氷抹茶の山にミルクと餡、白玉も乗せさくさく旨し

などとすれば豪華なかき氷を楽しむ食欲旺盛で元気な作者像が見えてくるのではないでしょうか。

 

7・神宮の森の開発に異を唱え音楽家は生涯を終えた(戸塚)

坂本龍一氏のことですね。

「音楽家」という表現ですが、ロシアの侵攻に反対してピアノの演奏をした名も知らぬ(少なくとも日本人には)ロシア人音楽家などの場合と違って、坂本龍一氏は具体的に名前を挙げてしまった方が、イメージがはっきりするのではないでしょうか。

音数的にも「音楽家は」と字足らずの六音よりも「坂本龍一」と字余りの八音にした方が読みやすいと思います。

また結句が「生涯を終えた」だと八音になってしまうのと、「終えた」という口語は「生涯」という重い言葉に対して適切かというと短歌的にはちょっとどうかなという気がします。

「生涯を終う」「生涯終えぬ」「生涯終えり」「生涯を閉ず」などの文語にした方がいいと思います。

 

8・追加点に隣の人とハイタッチ非日常の球場だから(金澤)

応援するチームの追加点に喜んで「わーい、やったネ!」と見知らぬ隣の人とハイタッチをした作者。それが「非日常の球場だから」というのが面白いですね。

「~だから」と思いっきり理由を述べているにも関わらず、理屈っぽくない(笑)。珍しい例だと思いますが、今回はとても上手く活きていると思います。

「隣の人」というと私はまず「家のお隣さん」を思い浮かべてしまって、近所の人と仲が良く、近隣で行われた小さなスポーツ大会での事かな、なんて想像してしまいました。「非日常の球場」まで読み進めてから「あっ、(プロ野球とかの大きな)球場の席で隣になった人か!」という感じになってしまったので「見知らぬ人」の方が分かりやすいかな、と思ったのですが、他の方はそんなことは思わなかったということで「隣の人」でいいのではという意見に収まりました。

もちろんよく読めばちゃんと分かるのですが、「(家の)お隣さん」というと良く見知った仲ということで意味的に真逆となってしまうので、迷う可能性があるならどうかなぁ、と思うのですが…どうでしょう。

 

9・ハンカチを一枚二枚と猛暑日に拭う汗のごとことば溢れよ(川井)

ハンカチを一枚二枚と使うほど汗をかいてしまう暑さ。言葉(歌)もこれくらい次々と溢れ出てくれればいいのに、という作者。

「汗のごとことば」とひらがなが続くと少し読みにくいので「言葉」は漢字にした方が良いのではないでしょうか。漢字が多くて硬いかなと感じたら「あふれよ」の方をひらがなにしてみてはどうでしょうか。

ハンカチに拭う汗のごと、ではなくハンカチを「一枚二枚と」(使って)という表現が効いていると思います。

 

10・桂離宮泣きたい程に美しき』泣くしか術なし恐れ入りたり(緒方)

桂離宮への「泣きたくなるほど美しい印象だ」というセリフは1930年代に来日したドイツ人建築家ブルーノ・タウトが「日本建築の世界的奇跡」と絶賛した時の有名な言葉です。

ただこの文章からは雑学的な知識は得られるのですが、「へぇ~」で終ってしまって、美しいとされる桂離宮の映像が具体的に思い浮かべられません。

「泣くしか術なし」と言っていますが、実際にはどのような光景を見て泣いたのでしょうか。

庭でしょうか、建物の外観でしょうか、室内でしょうか、室内から庭を見た時の光景でしょうか、季節はいつ頃でしょうか。そういった具体的な情報が一つもないため、この文章だけでは、実際に桂離宮に行った「経験」がある人以外は中々その「美しさ」を思い描けないと思います。読者の知識と経験に頼っている歌、ということになります。

実際の桂離宮を見たことがない人でも泣きたくなるほど美しい場面を思い描けるよう、作者が「美しい」と感じた光景をもっと具体的に描いて欲しいなと思います。

 

11・夕暮れの風のかわりめ蝉やみていつ生まれしか蟋蟀の鳴く(鳥澤)

まだまだ厳しい残暑が続いてはいますが、本当にある時ふっと「あ、もう秋が来てるんだな」と感じる場面がありますよね。

夕暮れの風が暑い中にも僅かに涼しさを含み始めた、そんな一瞬を捉えた歌だと感じます。

蝉の声が止み、いつの間に生まれたのだろうか、蟋蟀の澄んだ声が聴こえてくる。情感溢れる素敵な歌だと思います。

 

12・茹で時間それぞれ違ふ残り麺を夫とすすりて夏を惜しみぬ(小幡)

「茹で時間がそれぞれ違う残り麺」という具体が素晴らしいと思います。

素麺や冷や麦、ざるうどん、ざる蕎麦など、麺類をよく食べる夏の終わりによくある光景だと思いますが、何気なくやり過ごしてしまって敢えて言葉にはしないような一瞬をよくぞ捉えたなぁと思います。

この具体的な情報により、軽い麺類をよく食べていた暑い夏の終わり、一回で一袋全部使うような家族構成でなく、茹で時間が違うから面倒くさいと余らせたまま賞味期限が切れて捨ててしまったりすることなく使い切る作者のきちんとした家事仕事への姿勢など様々なものが見えてきますね。

こうして上の句が具体的なので、結句で「夏を惜しみぬ」と概念的に言ってしまっても十分その感情に乗れると思います。

 

13・突然の土砂降りに人ら空を見てたちまち道より小走りに消ゆ(畠山)

締切日直前、4番の歌と同じ日の土砂降りかもしれません(笑)。

ポツ、と来てから土砂降りになるまで約二分。あっという間でした。丁度街に買い物に行っていたのですが、それまで道に大勢いた人が迫る黒雲を見て「こりゃヤバい」とあっという間に屋内に避難して道から消えたのが印象的でした。これぞ蜘蛛の子を散らすよう…って、蜘蛛の子が散る所を見たことないんですけどね。

「あっという間に人の姿が消えた」が核ですから、「空を見て」は要らない情報かなと思いました。

突然に土砂降りの来てたちまちに街往く人ら小走りに消ゆ

うーん、少し弱いような。もう「蜘蛛の子を散らす」と言ってしまった方がいいんでしょうか。

蜘蛛の子を散らす如くよ突然の土砂降りに人ら小走りに消ゆ

なるべく出来合いの言葉である慣用句は使いたくないのですが。漢字も多いしやっぱり前の方がいいかも…。悩むところです。

まぁこうやって色々言い換えてみたり、順番を変えたり、パズルみたいにぴったりの言葉を探す作業こそが短歌の楽しい所なのかもしれませんね。

 

by PhotoAC Tokkuri