短歌厚木水甕 澪の会

神奈川県厚木市の短歌会「澪の会」のブログです

*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見をブログ管理人(畠山)が独自にまとめたものです。各歌の著作権は各作者にあり、ブログ内で例として挙げた歌で著者名を記していないものの著作権は私(畠山)にありますので、そのまま真似してどこかに投稿したりは絶対にしないでくださいね。尚、「こう直したらどうでしょう・こんな感じに歌ってみたらどうでしょう」として書いている歌はその歌の原作者様(各歌の()内の名前の方)に著作権があるものとします。

◆歌会報 2023年9月 (その2)

◆歌会報 2023年9月 (その2)

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第136回(2023/09/15) 澪の会詠草(その2)

 

14・一口に切ってひんやり楊枝刺し実家の桃を大皿に盛る(山本)

「ひんやり」の位置が少し気になりました。「ひんやり楊枝を刺す」と続くと、「楊枝を刺す」という行動にかかってしまい、ちょっと違和感がありますよね。

「ひんやりを一口に切って楊枝刺し」とした方が「ひんやり(冷えた桃)を一口大に切って楊枝を刺し」という意味に読めるのではないでしょうか。

ただし「ひんやりを」「桃を」と「を」が被ってしまうため、「よく冷やし一口に切って」などとしてしまった方がいいかもしれません。「ひんやり」は体感的な表現なので活かしたい気もするのですが、その場合「一口に切る」か「楊枝を刺す」かのどちらかを切って調整しないと難しいかもしれません。

果物はすっかり贅沢品となってしまった今日この頃ですから、大皿に盛るほどの桃なんて羨ましいですね。しかも果物の名産地・長野の桃だと思うので、想像しただけで…じゅるり。そうだ「長野」という実家の地名が入ってもいいかもしれませんね。

 

15・梅干しもふるさとの味の冷や汁も貴方がいるから作っていたの(大塚)

自然に読めて素直に心に入って来る良い歌ですね。

「作っていたの」という口語もこの歌では活きていると思います。

修正は必要ないと思います。

今月はどちらの歌も作者の何ともいえない寂しさがじんわりと伝わってくる歌でした。

 

16・晩夏行く朝の垣根のあさがおは夏の主役を清楚に下ろす(小夜)

「晩夏行く」が少し気になります。下の句で「夏の主役を下ろす」と言っているので、ここで更に「夏」の終わりであることを言わなくても場面の時期は分かると思います。

また「主役を降ろす」というと他動詞で「監督が主役を降ろす」というように使うのですが、ここはあさがおが自ら主役の座を遠慮するという意味だと思うので、自動詞の「主役を降りる」とした方がいいと思います。「舞台の幕を下ろす」と少しごっちゃになってしまったのかもしれません。

「少しずつ花の数減り」「朝ごとに小さくなりて」など「清楚に」と感じた理由の情報が入ってくると嬉しいですね。

 

17・夕間暮れ隣家の庭に白百合の主待ち顔でひっそり咲ける(栗田)

「主(ぬし)待ち顔」という造語が少し気になりました。「人待ち顔」とは言いますが「主待ち顔」とは言わないような。「主(あるじ)を待ちて」「主待つかに」などでいいのではないでしょうか。

また結句は「ひっそりと咲く」と終止形にしましょう。「咲く」「咲けり」「咲きおり」「咲きたり」「咲きぬ」「咲きけり」などが終止形で、「咲ける」は「咲ける花」のように後ろに続く名詞にかかる連体形です。

また「隣家」というのは空家だそうで、それで「主を待っている」ということなので、それなら「空家」と言ってしまった方が断然良いと思いました。

夕間暮れ空家の庭に白百合の主を待ちてひっそりと咲く

としてみてはどうでしょうか。

 

18・湘南は八月に入れば「土用波」聞き慣れし言葉ヒョイと思い出す(飯島)

湘南では八月に入ったら「土用波」とよく言っていたなぁ、と昔よく聞いていた言葉をふと思い出した作者。

土用波(どようなみ)とは、晩夏にあたる「夏の土用」の時期に、太平洋上の台風の影響で発生する大波のこと。風が無いように見えても突然に大きな波が来たりして危険なので、昔から海の近くで生活している人などの間では「八月に入ったらもう土用波だからね(注意しなさい)」というように言われていたのだと思います。

ただ「聞き慣れた」言葉を「ヒョイと思い出す」という繋がりにやや違和感を覚えました。ヒョイと思い出したということは最近では聞いていなかったということですよね。過去形にしても「慣れた」という単語に「思い出す」という動作がしっくりこないというか。「懐かしき言葉」「よく聞いた言葉」「母らの言葉」などなら違和感はないのですが。

また結句の「ヒョイと思い出す」の「ヒョイ」は適切でしょうか。結句ですし「ふと思い出す」として七音に収めた方が落ち着くのではないでしょうか。

 

19・川原に葛の葉群れり透き間から赤紫の花見ゆる朝(名田部)

上の句で「群れり」と終止形にして切ってしまう意味が今回はないかな、と思います。「川原に葛の葉群れて」「川原に葛の葉の群れ」として、その隙間から赤紫の花がどのように咲いている、と続けた方がすんなりと読めると思います。

また「透き間から」とあるので、隙間から花が「見える・覗く・咲いている」などの言葉は要らないと思います。

その分、どのように咲いていたか、「鮮やかに・くらぐらと・あかあかと」などの花の印象が語られると良い歌になると思います。

 

20・夏スカート手縫いで仕上げ身に付ける裁縫箱には縫い針とハサミと(戸塚)

スカートを手縫いして身に付けるという上の句はとても良いと思います。

既製品と手作りでは愛着度が全然違いますからね。ちょっと自慢気にうきうきしながら仕上がってすぐのスカートを身に付けてみている作者が浮かびます。

下の句は、仕立てるためについ今さっきまで使っていた縫い針とハサミがすぐ横の裁縫箱にある様子、仕立てたばかりで裁縫箱の片付けも後にしてすぐ試着してみている様子を描写したかったのでは、と思ったのですがどうでしょうか。

ただ「縫い針とハサミと」では九音になってしまいますし、動詞を省略していますが、通常「~に、には」と言えば「が、ある」という動詞が省略されているもので、「裁縫箱には縫い針とハサミがある」のは裁縫箱なんだから当たり前では?と読まれてしまうかもしれません。

裁縫箱を片付ける前に試着している、ということが分かる表現にしたいですよね。

また「縫い針」は「針」だけで通じると思います。

「針とハサミを箱に残して」「裁縫箱は開いたままに」など裁縫箱を片付ける間もなく、ということが分かる言い回しを探してみてください。

歌の場面(核)の切り取り方はとても良いと思います。

 

21・母の住む施設の窓辺の百日紅 夏の陽集めピンクわきたつ(金澤)

百日紅サルスベリ・ヒャクニチコウ)には赤白ピンクなどの色がありますが、一番良く見るのは濃いピンクのタイプですね。この猛暑にも負けず百日紅のピンク色は景色の中でも一際強い色彩を誇って咲いているように見えました。

百日紅」のあとの一字空けは必要でしょうか。助詞を入れると字余りになってしまうから、また助詞を入れずに漢字が続くと読みにくいから、ということで入れた空白で、ここに一呼吸欲しいから、または場面が大きく変わるから、という意味のある空白ではないのではないでしょうか。

空白を意図的な効果として入れているのでなければ、字余りでも助詞を入れるか、漢字続きが気になるならどちらかをひらがなにする、などにした方が良いと思います。

個人的には「夏の陽(を)集め」「ピンク(色が)わきたつ」など他でも助詞が省略されているため、ここは一字字余りでも「百日紅は」と助詞を入れてしまった方がいいのでは、と思いました。また助詞を入れて一字字余りになることで、「ヒャクニチコウ(六音)」では多すぎるので「サルスベリ(五音)」と読ませることが確定するのではないかと思います。

 

22・移りゆく季節しみじみベランダにみんみん蟬の声弱々し(川井)

ベランダに聴くみんみん蟬の声が弱々しくなってきていることで季節が移っているんだなぁとしみじみ感じている作者かと思いますが、「しみじみ」という表現が概念的で少し惜しいと思います。

何をもって「移りゆく季節だなぁとしみじみ」感じたのか、そこの描写をもっと詳細に描いて欲しいかな、と思います。

それは今回「弱々しいみんみん蟬の声」だと思うので、いつ(晩夏の夕・夏の終わりに・長月に・今日から九月、など)みんみん蟬がどんな感じに弱々しく鳴いている、という内容でまとめ、その描写で読者自身に「移りゆく季節を感じてしみじみ」して貰えるようにして欲しいと思います。

弱々しい感じ…途切れ途切れとか、合間が延びてとか、音階下がりとかでしょうか。

このところ毎月具体的ですっと場面を構築できる素敵な歌を詠まれている作者なのできっと出来ると思います。

 

23・「エモい」には得も言われぬの説もあり暫し納得 語源俗解(ぞっかい)(緒方)

「エモい」とは、英語の「emotional(エモーショナル)」に由来する、なんとも言い表しづらい気持ちになった時に使われる昨今の若者の間でよく使われるスラングです。 主に、感情が揺さぶられた時、切なく懐かしいような気持ちになった時、強く心が動かされた時など、いわゆる「キュンとくる」感情を表す時に使われます。

その若者言葉が「得も言われぬ」というやや古い(若者は使わないような)言い回しから来ている、という説もある、という根拠のない素人語源説にしばし納得してしまった、という歌ですが、これも10番の歌と同様、「知識」を元に作者の「感想」を述べた感じになってしまっていて、読者の「情」を動かす場面の構築に至れていないのでは、と思いました。

景色や日常生活など実際に目の前にあるものを歌うのと違って難しい題材だとは思いますが、戦争や技術、若者言葉など題材自体は決して悪くないと思います。

ただ現在の歌い方では感想や雑学の紹介で止まってしまって、読者の感情を動かし読者の中で考えさせるにまでは至れていないと思います。

絵画と同じで、いきなり難しい大作を描こうとせず、まずは観察がしやすい静物画・風景画などのデッサンがしっかり出来るようになることが大切かもしれません。

デッサンがしっかり出来るようになれば、目の前に実物がないものもしっかり描けるようになるのではないでしょうか。

 

24・行く夏の雲が高いと気づく朝 銀の飛行機まっすぐに行く(鳥澤)

「雲が高いと気付く」という表現がとても良いですね。一首目(11番)の歌もそうでしたが、季節の移り変わりに「あっ」と気が付く瞬間をとても上手く言語化していると思います。

位置が離れているのでそこまで気にならないとも言えますが、「行く夏」と「まっすぐに行く」の「行く」が被るので上の句を「夏過ぎて」「夏の末」「夏終わり」など言い換えた方がいいかもしれません。

まだまだ気温は暑いのだけれど、ほんの僅かだけれど確実に来ている秋の気配を感じる爽やかな歌ですね。

一字空けて雲から銀の飛行機にフォーカスしている部分も効いていると思います。

おそらく大半の人が暑い日の中にも何となくうっすらと秋の気配を感じているのではないかと思うのですが、その「何となく」を突き詰めて「何故だろう」とまではいちいち考えないと思うのです。その「何故だろう」を突き詰めて考え、言語化するのが短歌の仕事の一つで、いつの間にか蟋蟀の声が聴こえるから、日が暮れると涼しい風が吹くようになったから、空が高くなってきたから、空気がカラッとしてきたから、蝉の声が弱々しくなってきたから、朝顔が小さくなってきたから、など何故秋の気配を感じたのか、それぞれの視点から様々な「具体的な理由」を探し言語化することが大事です。

読者も何となく感じていたことの答えを言葉にしてもらったことで、そうそうそうなのよ、私もそれで秋の気配を感じていたんだわ、と自分の中にもやもやとしてあった感情が言語化されて輪郭がはっきり見えてくることが喜びとなり、それが「共感」ということだと思います。

 

25・沈黙の原子炉建屋しゆくしゆくと汚染処理水を海へ行(ゆ)かしむ(小幡)

題材が社会問題(具体的に観察できる事物ではないもの)のため、さすがにこの作者でも少し難しかったのかな、という気がします。

自分の目でしっかり見れる事柄と違って社会問題や報道の内容などを題材にするのは本当に難しいと思います。

「粛々と」と漢字ではないのは、画数が多い漢字を多用したくなかったから、なのかオノマトペ的(しゅわしゅわと)な扱いで使っているのかでもまた印象は変わる気がします。

この「しゅくしゅくと」のように「粛々」など漢字にして意味を持つ言葉にせず、「どぽどぽと」など水が放出される様子そのものの表現などにした方がもっと読者自身に考えさせる場面を描けるのではないかと思いました。

 

26・日が暮れてやうやう蟬の鳴く葉月 熱中症のアラート続く(畠山)

今年の夏は暑すぎたのか、もはや日中に蝉が鳴かなくなり、日が暮れてからようやく「みーんみんみんみん…」と聴こえてくるようになりました。

「やうやう(ようよう)」は「漸く(ようやく)」と同じ意味なのですが、普通によく使う「ようやく」の方が分かりやすいかな、と思いました。

また「鳴く葉月」よりも「声ひびく」とかの方が説明っぽくならないかな、と。

日が暮れてから鳴きだすということで「ひぐらし」かと思ったという方もいたのですが、ひぐらしだと涼しげだし、元々夕暮れから鳴きだす習性なので、暑さのあまり日が暮れてからやっと鳴きだす、という意味にはならないですよね。

「日が暮れて漸くみんみん蟬のこゑ」とかの方が分かりやすいかもしれませんね。

 

☆今月の好評歌は12番、小幡さんの

茹で時間それぞれ違ふ残り麺を夫とすすりて夏を惜しみぬ

となりました。

「茹で時間それぞれ違う残り麺」という題材への気付きと言語化が素晴らしい歌ですね。

個人的には2・15番の大塚さんの挽歌も切なくてとても良い歌だと思いますし、8番の金澤さんの非日常のハイタッチも面白かったですし、11・24番の鳥澤さんの秋の気配への気付きの歌もとても共感出来て、一番の好評歌というと迷う月でした。

By PhotoAC ikenagahayato