短歌厚木水甕 澪の会

神奈川県厚木市の短歌会「澪の会」のブログです

◆歌会報 2022年11月 (その1)

◆歌会報 2022年11月 (その1)

*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見を畠山が独自にまとめたものです。

 

第126回(2022/11/18) 澪の会詠草(その1)

 

1・干し柿の甘みに惹かれもくもくと背を丸め二人皮を剥きし日よ(大塚)

亡くなられたご主人との柿にまつわる思い出を歌ったもので、なんとも言えない懐かしさと寂しさが感じられる良い歌だと思います。

ただ私は作者のご主人が亡くなられたことを知っているため「二人」の内訳が分かり、それによってその切ない感情を感じることができるのですが、そこが分からないとかなり解釈が変わってしまうのではないでしょうか。

「亡夫と」と書いて「つまと」と読ませるか、「もくもくと」「背を丸め」がどちらか一方でも情景が見えるためどちらかを削り(個人的には背を丸めの方がより場面がくっきり浮かぶ気がします)「甘みに惹かれ亡き夫と背を丸めふたり~」として、より作者の状況をはっきりさせると読者も作者の切ない回想という心理に近付ける気がします。

また結句の「皮を剥きし日よ」ですが、今回の「を」は削れる助詞だと思います。「皮剥き」という日本語も普通にありますし、「皮剥きし日よ」と七音にしてしっかり座らせてしまいましょう。

 

2・御婦人は一人住まいの九十歳バームクーヘン送る秋の日(戸塚)

さりげない贈り物(バウムクーヘン)の手配をしながら独り暮らしの高齢の「御婦人」の安否を気遣う優しい作者像が見えてきます。

「御婦人」という言葉の選択が効いていると思います。「御婦人」ということで高齢になっても周囲に頼り切りにならずしっかりと独りの生活を営み、どこか凜として品のある女性像を思い描くことができます。

ただ「九十歳。」「秋の日。」と体言止めでプツップツッと切れてしまうと標語のようでせっかくの柔らかな作者の心情を味気なくしてしまいますね。

「九十歳」は「卒寿」とも言えるので「御婦人は一人住まいの卒寿かな」「御婦人は一人住まいの卒寿なり」などとして上の句は体言止めにしないようにしたいですね。

また「送る」は「贈る」の方がいいかもしれません。ただ相手の元へ送ったというよりは「贈り物」をしたという意味が強いですよね。

 

3・星づくよ冬のあしおと聞こえくる キーウの街も疲れてきたり(緒方)

晴れて星が月のように明るく輝く秋の夜。冬はもう足音が聞こえそうなくらいすぐそこまで来ていている。冬の終りに始まったロシアのウクライナ侵攻はまた冬が来るという今もまだ続き、首都キーウの街も疲弊してきている。

もう本当にロシアには一日も早く撤退して欲しいですね。最近ではキーウの民間施設やインフラ施設に最早悪びれもせずに攻撃を仕掛けていて非常に腹立たしいばかりです。

西側諸国では「ウクライナ疲れ」などという事も言われているようですが、逆ですよね。いつまでも侵略失敗を認められない「ロシア疲れ」ですよ。

星月夜(宇宙)という壮大で静かに冷たく、けれど美しく淡々と続くものと愚かなる人間の戦争との対比が良いですね。色々と考えさせられます。

ただ「星づくよ」は漢字がいいのでは。特に「よ」は「夜」でないと感嘆の「よ」とも取られかねません。

短歌としてはあまり漢字が多すぎない方が柔らかで美しいという話を何度かしているので、今回意図的に「星づくよ」「あしおと」をひらがな表記にしたのかなと思いますが「星月夜」は特段画数が多く硬い感じがするものでもないし、先程も言いましたが「よ」で迷うこともありひらがなの方が逆に読みにくいことになってしまいます。

難読漢字や画数が多く硬く難しい印象を与える漢字の多用はなるべく避けた方がいいですが、ひらがなでは意味が迷いそうなものや簡単な漢字、漢字そのものに雰囲気や意味がある漢字はしっかり漢字を使った方が良いと思います。

 

4・前置詞のやうな〈3年ぶり〉の文字秋の祭りの見出しに踊る(小幡)

二句三句が句跨りでやや読みにくさも感じますが音数は合っていますし「前置詞のような」という捉え方はとても面白いと思います。

余計な情報が無いので却って句跨りを避ける並び替えが難しく、作者も悩んだものと思われます。

〈3年ぶり〉秋の祭りのポスターの見出しに付きぬ前置詞のごと

とかはどうでしょうか。

まぁとても上手な作者なのでもっと上手い並び替えや言葉の選択をしてくれるかもしれませんし、色々考えた結果句跨りでもこのまま行く、となるかもしれません。

ただ「前置詞」という捉え方がポイントなので句跨りにしてまでそこを初句に持ってきてしまうのはやや惜しいのでは、という気がします。

 

5・師の歌集十首選びて送ること半数だけとは 何をか言わんや(名田部)

残念ながらこれは「宿題ちゃんとみんなやりなさいよ!」というお説教を五七五七七のリズムに乗せただけであり内容に詩情(歌)を感じられません。

こういうこと(お説教や皮肉)を五七五のリズムで調子良く言いたいのなら短歌ではなく川柳の方が向いていると思います。

短歌は「歌」ですのでもう少し「詩情」を大事にして欲しいと思います。

 

6・夕暮に落ち穂を拾う農婦らへミレーの絵筆はひかりを与え(川井)

この作者は先月も同じ対象を歌われていましたが、「名画なる」という説明は要らないのではという意見を踏まえ、新たに挑戦されたようです。

が、やはりあまり作者の心の揺らめきが見えてきません。再び挑戦するくらいなので作者は落ち穂拾いの光の描写に相当ハッとしたというか心が動いたのだとは思います。けれど客観的に「心が動いたのね」ということは見えても「どう」動いたのかがよく分からず、作者と同じように揺れることは出来ない状態です。

また「夕暮に落ち穂を拾う農婦ら」は具体的なようでいて「落穂拾いの絵」についての説明にしかなっておらず、作者の心を動かした事象そのものを表していない気がします。

その点では前回の「農婦のブラウス」の方がずっと具体的だと思います。

更に「ひかりを与う(結句なので終止形に)」という表現は「命を吹き込む」とか「輝きを与える」「魂を与える」などのような生き生きとした表現の比喩としても使われがちです。

今回作者は純粋に、際立って明るく見えた「光」の表現そのものを指しているのだと思いますが、「画家の絵筆が光を与える」というと画家の巧みな絵画技術を褒めるありがちな表現の方の「光」と取られてしまう可能性が高いと思います。

また絵画・映画・テレビ・本など誰かが人に見せるために作られたものには程度の差はあれ必ず製作者の意図が入ります。ここで泣かせよう、ここで笑わせよう、ここで考えさせよう、ここで感動させようという思惑の一切無い「作品」はありません。あったとしてもそれでは人の心がそう動かせませんから評価されません。名画である、名作であるほど上手に製作者の意図に乗せる力が強いと言えると思います。

ですから既に作られた作品を見て「心が動かされた!」と思ってもそれはある程度「乗せられて動かされた」のだと認識しておいた方がいいです。更には多くの人が「同じ意図によって同じように動かされている」ので個別的な気付き、揺れにはなり難いとも言えます。「人に見せることを前提にして、人に作られたもの」を見て個別的に歌うのは難しい、ということは念頭に入れておいてください。

その上で、何によって(描かれたブラウスの白さ?)どう心が動かされたのかもう一度考えてみてください。

絵の中のブラウスの白さが何故そんなに心に突き刺さって来たのか。二度もチャレンジするくらいですから、多分ただ「思ったより白くてビックリした」だけではないのだと思います。まだ作者自身も気付いていない心のささくれがあり、そこにブラウスの白さが引っかかったのではないでしょうか。

そこが見えてくると同じような心のささくれを持つ人の心が動き、その歌によってミレーの絵を新たな目で見るようになるかもしれません。

 

7・塩漬けの梅を干したる秋の日は気がかりなことがひとつ消えゆく(鳥澤)

平凡な日常を送っているようでいて、人は結構あれこれと「やらなくちゃ」ということに追われていると思います。

この作者も仕事や家庭の様々な「やらなくちゃ」に追われている中、そろそろ塩漬けにしている梅を干さなくちゃ、という「やらなくちゃ」を終えてふっと息を吐いている様子がよく見えますね。

作者と同じように読者の心も少し軽くなる気がします。

「梅を干したる」は字数を合わせるために「たる」にしたのだと思いますが「たる(たり)」は本来「~(し)て+あり」で「~(し)ている」という継続の意味がただの完了の助動詞「~(し)た」よりも強いです。

一字字足らずにはなりますが二句ですし「梅を干した秋の日は」でもいいし、「梅を干し終え」でもいいと思います。

逆に結句の「消えゆく」(消えてゆく=途中)を「消えたり」(消えた=消えて、消えた状態が継続)にした方が理由と結果がすんなり繋がるのではないかと思います。

また四句の「気がかりなことが」の「が」は今回省いてもいい助詞だと思います。

 

8・抗癌剤途中で終わるむなしさに緩和状態希望薄らぐ(山口)

この作者はこのところ癌で亡くなられた奥様の闘病を連作で歌っています。ファンタジーのように都合の良い奇跡が起こるわけもなく、とても厳しい現実を淡々と見つめて詠む姿勢はなかなか出来ることではないと思います。

抗癌剤を使っての治療(治癒に向けた医療行為)が途中で終り、緩和ケア(終末期医療。治癒を諦め患者の苦痛を緩和するための医療)へと移行することになり、治癒(治ること)への希望が薄らいでしまった。

歌の内容(場面)はシビアでズンと心に重く来るものなので、あとは表記、言葉の使い方ですね。

「むなしさ緩和状態」では意味が通じません。ここは「抗癌剤途中で終るむなしさよ」として上の句で一旦切ってしまいましょう。

「緩和状態」「希望薄らぐ」も助詞がなく単語がブツブツと切れてしまってこのままでは意味が通りません。

緩和ケアの状態になったことで・緩和ケアへと移行したことで(治癒という)希望が薄らいだのですから、「緩和ケアへと(「なり・なって」が省略)希望薄らぐ」と繋げれば意味が通るようになりますね。

 

9・一回り小さくなってふんわりと車椅子に笑む90歳の姉(飯島)

「一回り小さくなって」という具体が良いですね。金さん銀さんのようなお婆ちゃん像が浮かびました。

ちんまりと弱く不安定な存在になりつつあるという不安や、柔らかな人柄であろうお姉さんが溌剌としていた頃の懐かしさなどの作者の複雑な感情が見えますね。

ブログでは横書きしか出来ないのであまり目立ちませんが、短歌は基本的には縦書きなので「90歳」は漢数字の「九十歳」としましょう。面倒くさいですけど「きゅう じゅう さい」で一文字ずつ変換してください(笑)。

ちなみに読みは音数を考えるとこの場合「きゅうじゅうのあね」です。「さい」は読みません。音数により「さい」を読むかどうかは読者も都度考えてみましょう。

 

10・幼子の年取ったねと笑み顔で年は増すもの減るのもあるよ(栗田)

幼子が悪気のない笑顔で「歳取ったね」と言って来た。歳は増すものだけれど、(歳を増すと)減るものもあるんだよ。

まず年齢のことを指す場合の「トシ」は「歳」の字を使いましょう。

また「笑み顔」とは言わないですよね。「笑い顔」もしくは「笑う顔」ではないでしょうか。

さて「幼子の歳取ったねと笑う顔歳は増すもの」までは分かりますね。でも次の「減るのもあるよ」で一気に分からなくなってしまいます。

文法的には「歳は」という主語が「減るのもある」にかかりますが減る歳はないですよね。

話を聞いたところ「歳(数)が増えてゆくと出来ることや元気など減っていくものもある」ということが言いたかったということでした。

「減るも」がいけませんね。「減るのも」というとこの場合の「の」は「歳」を指すことになります。「減るものも」とすれば歳とは別のものが減ると読めるようになります。

また「歳は増すもの」にも問題があると思います。「増すもの・減るもの」と対比させたかったのだと思いますが幼子が「歳取ったね」と言って来たのですからそのまま「歳取るごとに減るものもあり」とした方が分かりやすいのではないでしょうか。

 

11・(いくさ)止まぬこの星の影にうつそりと呑み込まれゆく赤き月見ゆ(畠山)

月蝕を見ての歌です。

今回(11/8)の月蝕は晴れて雲も無くよく見えましたね。周りではすごいとかキレイとかの声が多かった気がしますが、地球の影にゆっくりと覆われていく赤っぽい月は私にはやや不気味なものに見えました。

最初は「うつそりと戦の止まぬこの星の影に呑まれゆく赤き月見ゆ」だったのですが、「うつそり」は呑まれていく月の様子を表しているのに「呑む」が離れすぎていて、これでは「うつそり」が「戦」にかかってしまうなと思い、字余りですが「戦止まぬ」を初句に持ってきて並び替えました。うつそりと戦が止まない、では意味が分からないですものね。

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