短歌厚木水甕 澪の会

神奈川県厚木市の短歌会「澪の会」のブログです

◆短歌教室に於ける人の歌の読み方(読解力)

お喋り会でなら「この人の歌、共感持てるしいいわよねぇ」「この作者の考え方は道徳的に受け入れられないわー、苦手―」「この作者有名だけど、私には何が言いたいのかさっぱり分からないわ」等、好き嫌いを言い合うのは楽しいし、感想も「好き・嫌い・分からない」で構いません。が、短歌教室での歌の見方はそれではあまり意味がありません。

短歌教室は「より良い作品作りのための学びの場」ですから、作品の内容や思想についてどうこう言う場ではありません。教室は言語学習の場であり、作品は技術的・知識的なものを学ぶための素材として見てください。

 

言語学習に於いてまず大切なのは読解力です。

言語は自分の言いたいことを形にして人に伝える道具であり、伝わらなければ意味がありません。

そして人に伝わる文章を構築するには、まず自分がその言語を理解していなければ出来ません。

まず文字を知る→単語を覚える→会話できる→読める→書ける。

これが言語学習の基本的な流れだと思います。

そう。「書ける(文章を作れる)」は最終段階で、まず「読める」ことが出来てこそ出来ることなのです。

 

その「読める力=読解力」を測るために国語(日本語)の学習ではよく「作者が言いたかったことは何か」というような問題を出してきますが、本来これは「文章の構成を理解しているか」を問うものです。

国語(日本語)の場合のみ、教師すら思い違いをして「感想(作者の思想の是非や好き嫌い)」を問題視してくることがあるので、ここは要注意です。

尤も「感想文を書け」という問題の出し方も良くないですね。「内容について感想を述べよ」は道徳の分野としてやるべきで、国語=日本語(言語学)として問題を出すなら「内容を簡潔にまとめよ」として出すべきなのです。

「誰がどういう状況でどうした(思った)か」をこの文章から正しく読み取れていますか、というのが問題なのに、それをすっとばしてこの「誰々が思ったことについてあなたはどう思いますか」と問うてしまう。これは「道徳」の分野です。国語だから、日本語だから、ある程度読めて当然という思い上がりがあるからこそ起こる問題です。

英語ならば「atやin、onの違い(助詞の正しい使い方)やSVOC(主語・述語・補語などの使い方=いわゆる文法)」を問題とし、その違いに気付けるかどうかという正しい言語教育(言語という道具の使い方学習)が出来るのに、国語になると何故か「道徳」を交えてしまう教師が少なくないため、「読解力と感想」というものに対して勘違いをしたまま大人になってしまった人も少なくないと思います。

子供の頃、そういう「道徳的感想を求めてくる教師」に当たってしまった方、お気の毒ですがそれはハズレ教師です。今になって思えばその教師もまだまだ若かったでしょうし、教師といっても万能なワケでもありません。「あっちゃ~、あの先生、国語教師としてはハズレだったわ」くらいに考えて、改めて「ツールとしての日本語」「伝えるための日本語学習」について考えてみましょう。

短歌や俳句、小説など「言語を用いて作る作品」を作ろうとする人なら、ツール(道具)としての正しい言語(日本語)学習は避けては通れないのですから。

 

改めて「読解力」とは文章の構成を理解する力であり、文章の内容に対する好き嫌いや是非の判断とは別のものとして考えてください。

 

さて前置きが(これが前置きか!?ってくらい)長くなりましたが、「読解力」を付けるということは「伝わる文章を作るには何が必要かを見極める力」を付けるということです。

 

文章を読んで情景が目に浮かぶ、作者や登場人物の言いたいことが分かるということはつまり、その文章は「人に伝わるよう正しく作られている」ということです。

逆に分からない文章の場合、何故分からないのか。それはその文章構成が失敗しているからではないか。そうでないなら自分の読解力や知識が足りないのではないか。と、それらを考えることで自分の作品をより良くしてゆきましょう。

 

読解力を上げるためにとにかくよく本を読め、などとも言いますが、それは正しい文章に大量に触れることでその流れを自然に感じるよう体に浸みこませろ、というややスパルタ方式の学習法だと思います。

もちろん良いものに多く触れることによる効果はあります。語彙は確実に増えるでしょうし、短歌らしい言い回しに慣れて使えるようにもなるでしょう。またこんな物事の見方、表現の仕方があったのかという気付きもあるでしょう。

しかし「名画に囲まれていればいずれ本物の見分けが付き良い絵が描けるようになる!」と言われるようなもので、そりゃあそれで出来る人もいるだろうけど、それは元々才能のある人だよ、一般人は具体的に分析して知識を得、理解した上で練習をして描いた方が早いよ、と私は思います。意識せずにただ眺めているだけで上手い絵が描けるようになる人は少ないと思います。

ですから短歌も「正しい」文章で構成されている教科書や名作を何度も読み込んでなんとなく「正しい」文章に慣れるより、「失敗作」を意識的に分析して何が「失敗」なのかを考えることはとても効率が良いのですが、「失敗作」は失敗作であるがゆえに教科書などには載っていません。

そこで歌会で出される皆さんの「未完成作品」が良い教材となるのです。

皆さんの習作を見て、「何が言いたいのか分からないわー」で片付けてしまわないで、まず「どんな場面なんだろう。何が言いたいんだろう。」と推測してみる。そして何故上手く場面が浮かび上がらないんだろう、と考えてみる。この「分析」が大事なのです。

澪の会の歌会では他人の歌を声に出して読んでもらったあとに簡単な「感想」を求めているのですが、これも小学校の「感想文」という課題と同じでちょっと言い方が良くないですね。

正しくは「あなたによるこの歌の分析をしてください」です。

内容についての個々の「感想」は作品として完成・発表した後で伝えればよいもので、歌会(勉強会)中に必要なのは「分析」です。

・どういう場面、どういう状況を歌ったものか読み取れるか

・上手く読み取れないのはここの表現が問題だからではないか

ということを述べて欲しいと思います。

 

文章が読み取れない理由・四大あるある

その1:言葉を知らない

外国語はもちろんですが、日本語でも知らない言葉は沢山ありますね。全然知らない単語がポンと出て来て、尚且つ前後に情報を補足する言葉がない場合、何についての話なのか文章そのものが全く理解できません。

 

その2:主語・述語が不明。

何(誰)がどう(述語)したのか分からない。状況が分からない。

 

その3:背景が不明

どういう場面なのか分からない。状況が分からない。

 

その4:時系列が不明

これは「その3:背景が不明」の中の一つとも言えますが、多いので敢えて別枠で。

今の話だと思ったら過去の話だった。またはその逆だった。原因と結果が結びついていない、話が飛んでいる、など。これもまた状況が分からない。

 

読み取れない理由を分析してみると、大体はこれらの理由のどれかに当て嵌まると思います。

逆に「どの理由かも分からない。とにかく分からない。」場合は受け手(読者)の読解力が極端に低い可能性もありますので、「理由は分からんけど全然分かんないわー」と開き直ってはいけません。「すみません、どういう場面か分からないけど、どうしてなのかも分かりません…」としょんぼりしながら他の人に分析を任せてみましょう。

 

理由が分析出来た場合。

理由2,3,4は基本的に作者側の問題である場合が多いです。

・主語・述語を明確にする

・的確な助詞を探す

・単語の並びを変える

・情報を整理する

などの方法を提案し、対応します。

 

理由1の場合、この問題は読み手側の問題(言葉を知らない・知識不足)の場合と作者側の問題(説明が足りない・読者に過剰な知識を求めている)どちらの可能性もあります。

例えば「〇△□ソウ」について歌った歌があったとして、この「〇△□ソウ」という言葉がまるで聞きなれない言葉であっても前後に「葉」「茎」「花弁」「咲く」「庭」などの言葉や描写があれば「〇△□ソウ」の「ソウ」は「草」であり、花が咲く植物なのではないか、と読み取ることが出来るとするのが一般的です。更には名前も知らない花なのに具体的な描写により実際に見たことがあるかのように想像出来るようなら作者の腕は相当なものです。このように周囲の描写により「一般的には読み取れるだろう」という場合、分からないのは読み手の読解力の問題です。

けれど例えば作者が脳内に花の様子を思い浮かべつつ、ウキウキした明るい気持ちを花の様子になぞらえて「早起きの私の心は〇△□ソウ」などと作者としては「上手い例えをしてやったわ!私の気持ちにピッタリ!」という歌を詠んだとしても、読者からは作者の頭の中は見えませんから「〇△□ソウとは何ぞや。眠そうとか楽しそうとかの「推量のソウ」かしら」などとなってしまい全く具体的に想像できず、それゆえに文章も理解できない。などという場合は作者の問題です。

読者からは作者の頭の中は見えない

これは常に心がけておきましょう。

作者の問題の場合、もっと適切な表現(言葉)があるのではないか、そもそも一番歌いたい歌の核に必要な言葉は何なのかを作者が自覚して絞れるよう提案し、対応します。

 

このように「失敗」は問題点が分からないと改善のしようがありません。原因を理解していない失敗は何度でも繰り返してしまいます。

でも分かれば気を付けられますよね。

それを分析し、見付ける力が読解力です。

 

素晴らしい部分、自然に見えるけれど実はすごい技巧が凝らされたものというのはその道のプロにこそ称賛されても、自然すぎて素人は案外気付けないものです。

ユーザー(受け入れる側)に負担を求めない、プロならではの巧みさゆえです。

でも失敗部分というのは素人でも割と簡単に気付くことができます。

短歌もそうです。初めのうちの読解力では「良い良いと称賛されている名作とやらの良さ・巧さ」にはまず気付けません。

絵画でもそうです。さりげない線が一本描かれるだけで一気に立体的に見える絵になったりするのですが、全く絵心のない人がそれを見ても自然に見えるがゆえに逆にその一本の線の効果に気付きません。けれど自分が描く側になって初めて「うわ~立体的に描くのって難しい!この線の角度がちょっとズレるだけでものすごい歪んで見えちゃう!」と気付いたりします。

けれど失敗作に対しては素人でも「あれ、なんかこれデッサン狂ってない?ヘタクソ~」などと思えてしまうのです。とはいえ素人なのでどこにどう線を入れれば直せるのかは分からないし、実際にやらせてみたら出来ないんですけどね。

でも試行錯誤を重ねて何度も意識しながら失敗作を描くうちに、最初の頃には分からなかった「一本の何気ない線のすごさ」に気付けるようになるのです。

同じ線を見て「あっ、この線、すごかったんだ」というのは絵描きとしての読解力が上がった結果理解できるようになったことです。

 

皆さんも歌人としての読解力を上げていきましょう。

そのためには「何が上手く行かない理由なのか」を意識的に探さなくてはいけません。

分かりやすい失敗例ならすぐに気付けるようになるでしょう。そして気付いたら同じ失敗をしないよう気を付けることもできるようになります。

そうやって意識して読み、作る癖を付けていくと、最初の頃には分からなかった「巧い部分」にも気付くことが出来るようになってきます。これは意識的にやっていた手法なんだなと気付けるということはあなたがそれを意識できるレベルまで上がって来た証拠です。

 

「何が言いたいのかまるで分からない」うちは読解力素人です。

「こうじゃないかと思うけれど、理由そのXによりよく分からない」と失敗理由に気付けると読解力初級です。

「こうじゃないかと思うけれど、理由そのXによりよく分からなくなっているから、これこれこう直してみたらどうだろうか」と提案できるようになってきたら読解力初段です。

「この助詞は的確ではないけれど、こういうことが言いたいんじゃないかしら」と間違った文章からも正解を読み取れるようになったり、「これをこう表現するとは的確で素晴らしい!場面が目に浮かぶ!」と作者が意図したものを確実に読み取れるようになったら読解力黒帯です。(何でもとにかく褒めればいいってもんじゃないですよ!)

 

まずは読解力の中の初歩、失敗を見極める力を。そしてその失敗を自分はしていないか、自分の作品を改めて見直す力を。

教室ではもう一度学生になった気分でしっかり言語を学びましょう。

 

☆「感想」と「分析」は違う(歌会では「分析」をする)

☆読解力は分析力

☆何が理由で失敗しているのか見極める

by sozaijiten Image Book 13