短歌厚木水甕 澪の会

神奈川県厚木市の短歌会「澪の会」のブログです

*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見をブログ管理人(畠山)が独自にまとめたものです。各歌の著作権は各作者にあり、ブログ内で例として挙げた歌で著者名を記していないものの著作権は私(畠山)にありますので、そのまま真似してどこかに投稿したりは絶対にしないでくださいね。尚、「こう直したらどうでしょう・こんな感じに歌ってみたらどうでしょう」として書いている歌はその歌の原作者様(各歌の()内の名前の方)に著作権があるものとします。

◆歌会報 2022年10月 (その2)

◆歌会報 2022年10月 (その2)

*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見を畠山が独自にまとめたものです。

 

第125回(2022/10/21) 澪の会詠草(その2)

 

14・頼朝の狩りのお伴に選ばれた弓の名手は郷土の宝(戸塚)

最初は「為朝?」と思ったのですが部下ではないしな…お伴に選ばれたって誰だろうなどと思っていたところ、厚木には「愛甲三郎季隆(あいこうさぶろうすえたか)」という武将がいて弓の名手として語り継がれてきたようです。

そう言われてみれば愛甲公民館などには以前からバーン!と「愛甲三郎郷土の宝」と書かれた看板が掲げられていましたね。

今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも弓の名手として名前が出たりしたようです。

さて、「弓の名手」と言ってしまうと私のように他の名前を思ってしまったり悩んだりする危険性があるのでここはもう「愛甲三郎」の名を出してしまいたいですね。

「頼朝の狩りのお伴に選ばれた愛甲三郎 郷土の宝」と一字空けることで体言止めと漢字が続いてしまう疲れを少し緩和しましょう。

また個人的には「郷土の宝」と言ってしまわずに「今も看板に」「公民館に」などと作者の生活に近付けた方が面白いのでは、と思うのですがいかがでしょう。

 

15・スカーフを羽織る肩ごし立秋の亡母(はは)に語らう三十一音(小夜)

「スカーフを羽織る肩ごし」までは具体的な描写なのにその後急に印象派のようになってしまい情景が固めきれなくなってしまいます。

一番の問題は「立秋」かな、と思います。「立秋の亡母」と言われて具体的なイメージが湧くかというとちょっと難しいですよね。これが「スカーフを羽織る肩ごし仏壇の(モノクロの)亡母語らう三十一音」とかならイメージはしやすくなると思います。最近では遺影もカラーになってきましたが「モノクロの亡母」と言えばそれが遺影であることは分かると思います。

また立秋に少し涼しくなってきたからとスカーフを羽織ったらそれが母から貰ったものだと思い出し…ということですが、それはそこだけで一首にするべきで、全部込々で三十一音に入れるのは厳しいと思います。

今回の題材なら

立秋に(涼しさを感じて)スカーフを羽織った

・母からの贈り物のスカーフを立秋に巻く

・亡き母に「最近私、短歌作ってるのよ」と語る

と三首くらい出来そうです。

言いたいこと(題材)がいっぱいあるのは良いことです。ただそれを一首にまとめようとせずに、区切って区切って何首も作ってみてください。また同じ題材で言葉や並びを変えつつ作ってみるのもぐっと力が付くと思います。

 

16・「塩ゆでがいづばん次はずんだだな」故郷の秋のえだまめ畑(小幡)

鍬とか携えた地元の農家の人が日に焼けた笑顔で語っているような情景がありありと浮かびますね。方言がとても効いていると思います。

「」を取ってしまって、下の句との間に一字空白を置いてもいいかもしれません。

他にいう事はありません(笑)。上手い歌だなぁと思います。

 

17・引き抜いた秋桜の花切り集め畑の片すみ雨水の桶に(鳥澤)

「引き抜いた」秋桜ですから雑草に近い扱いで、もう処分してしまうのでしょう。それでもそのまま枯らしてしまうには忍びないと花を切り集めて畑の隅の雨水の桶に入れてやる作者の花への感情が見えますね。

このうち何本かを持って帰る時の歌が一首目(4番)の秋桜の影がゆらゆらでしょうか。

「畑の片すみ雨水の桶に」は「畑のすみの雨水の桶に」として自然に繋げた方がいいと思います。

 

19・ゲノム革命より凄まじきメタバース死後も分身生き続くとぞ(緒方)

また難しい題材で来ましたね。肉体の死後もデジタル分身が生き続けるとは凄まじい生物学的革命だ、という意味だと思いますが、その「凄まじい革命」に対して湧いた作者の感情が今一つ伝わってきません。

肯定的なのでしょうか、否定的なのでしょうか。10番の名画を見ての歌と同じで、とある「気付き」に対する心の動きこそが歌にとって大切な部分だと思うのですが、「気付き」の説明で止まってしまって、肝心の作者の中に湧いた複雑な感情を描き出す余裕が三十一音の中に無くなってしまっているのではないかと思います。

誰もが知っているものだとその「説明」部分に取られる部分が最低限で済むため「描き方」の方に集中できるのですが、説明がないと分からないものに対してはどうしても説明にある程度取られてしまうため、三十一音という制限がある短歌ではとても難しい分野だと思います。

新しい素材を使うな、ということではなく、新しい素材を使うのは自らとても高いハードルを設置してから挑むようなもので、突っかからずに進むのはとても難しいよ、ということです。

因みにメタバースに死後も生き続く分身とありますが、死後も生き続く分身などの革命的イメージは「ムーンショット目標」の方が強いのですがどうなのでしょう。

メタバースはあくまでも仮想生活空間(新時代の生活空間)という概念で、「肉体・脳・時間の制限からの解放」という意味ならば「ムーンショット目標」の方がピンと来るのですが。

*「ムーンショット目標」詳しくは内閣府のHP(https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/target.html)にあるので興味のある人は覗いてみてください。「内閣府が!?」と驚く内容かもしれません。

 

20・中国に旅立つ息子に芋を蒸すただひたすらの無事を願いて(大塚)

これは難しい部分がなく、すっと情景を思い描けて、その情景から作者の息子を心配する気持ちを共感できますね。

日本国内でも日帰りで行けないような距離だと心配になるのに。ましてや海外。しかも共産圏で台湾問題などキナ臭い話題もある中国ですから親としてそれはそれは心配なことでしょう。

しかもこの作者は6番のご主人を亡くされたばかりなのにお一人様の旅案内が届いた作者です。

出来るなら止めたいくらい、でも仕事だしそうもいかない。何かあってもすぐには帰って来られないという寂しさ、そんな色々な感情が湧く中、芋という単純だけれどほっこり優しい印象の料理を息子のために作る。

とても良い歌だと思います。

「中国に」「息子に」と「に」が続くので「中国」は「中国」とした方が良いのではないでしょうか。

 

21・記念日にメール送りし返ありて1日だけどもそばにいたいと(山口)

記念日に癌闘病で入院中の妻にメールを送ったら一日だけでもそばにいたいと返事があった。

切ないですね。

この歌も場面の切り取りはとても良いと思います。ずっと連作で奥様の癌闘病を歌われていますから、この歌にはなくとも「癌で入院中の妻に送ったメール」ということは分かると思います。

問題は表記(というか日本語の使い方)で、「記念日にメール送れば返事あり一日だけもそばにいたいと」とすると自然な日本語になると思います。

「送りし」では「遠い昔に送った」という意味になってしまうし、続く名詞にかかるので「送りし返」となりもう意味が分からなくなってしまいます。

また「返あり」とは言いませんよね。「返事あり」が自然です。

また「1日」の表記はローマ数字ではなく漢字表記「一日」で。

「だけども」は「だけれども」のくだけた言い方(口語)で、「平日だけども休みが取れるってさ」というような使い方なら分かりますが、ここは「たった一日だけでもいいから」という意味ですよね。その場合「ども」では適切ではないので直しましょう。

 

21・相模川の河口近くは悠然と雨水すべて受け入れ流る(金澤)

雨水を受け入れてということなので、雨が続いた後の茶色い水が増水して、悠然というよりは濁々と流れているんじゃないかなぁ、などと思ったのですが、河口近くともなると川幅が広いので川面は意外と荒れずにゆったり悠然と見えるらしいです。

ただ「雨水すべて」がほんの少しだけ弱い気がしなくもありません。天気の良い時の河と一番違う感じはやはりあの山を削ったような水の様子にあるのではないでしょうか。

「雨も土も受け入れ流る」「山削る雨を受け入れ流る」など「雨水すべて」の様子がより詳細に分かるとより良くなりそうな気がします。

 

22・花選び迷いて居れば赤とんぼビオラの花に止まりて誘う(栗田)

園芸店の店先でしょうか。どの花にしようと迷っていたらまるで「これがオススメよ」と言わんばかりに赤とんぼがひとつのビオラの花に止まって誘った。

ほっこりしますね。季節感も出ていて良い歌だと思います。

字余りになってしまいますが三句の「赤とんぼ」に「が」の助詞が欲しいところです。

 

23・敬老日園より届きし男の孫の赤い手形にてのひら重ね(川井)

敬老の日に幼稚園からお孫さんの赤く押された手形が届き、自分の手を重ねることでその小ささを感じている作者だと思います。

「敬老日」というのが少し苦しいかなという気がします。「敬老に」とすれば敬老の日に届いたんだろうなと分かると思います。

また「届きし」は遠い昔に届いたことになってしまいます。昔のことを思い出している歌ではないので「届く」でいいのではないでしょうか。

また結句は「重ぬ」と終止形にしたいですね。

また「赤い手形」が具体的なようでいて作者の感情が乗っている情報ではない気がします。

赤さよりもその手形の小ささや指を広げた様子、しっかりなのか控え目なのか押され方から見えるお孫さんの気質など、作者の心が動いたであろう情報が見えてくると面白い歌になると思います。

 

24・喜寿迎えショートケーキにパフェを食べ生の喜び日々を繋げん(名田部)

元気ですね!健康が一番、何よりです。

喜寿(77歳)にしてショートケーキとパフェを食べるという具体が個別的で、元気な作者像が見え、とても良いと思います。

上の句がとても良いので下の句がやや惜しいかなと思います。上の句の鮮やかさを消さないように、下の句は「生の喜び確かめており」くらいで大人しめにまとめた方が活きると思います。「日々を繋げん」と言ってしまうと最後まで意気揚々!という感じで上の句の元気さが目立たなくなってしまうのですよね。メリハリつけて上の句を活かしましょう。

また「ショートケーキパフェ食べ」「ショートケーキパフェ食べ」として比べてみてください。どちらも間違いではありませんが、後者の方がより元気な感じがします。

 

25・朝の戸を開ければ子ぬか雨降りて秋冥菊は風情ましたり(飯島)

しっとりと降る小糠雨(子ではありません)に濡れて秋冥菊は風情を増したように見えたということですが、その「風情を増した」と感じた秋冥菊の様子を頑張って写生してみてください。

「しっとり俯く」とか「濡れて色濃く」とか。何故風情を増したと感じたのでしょうか。その答えは作者にしか分からないし、その目の付け所にこそ作者が出るはずです。そこを自分に問いつつ、探して言葉にしてみてください。

 

26・一通の負の相続の通知来て疎遠となりし叔父の死を知る(畠山)

いやー、びっくりしましたね。内容証明郵便とやらが届いて、読んで驚き。慌てて他の親戚と連絡を取ったり、ネットで相続放棄について調べたりしててんやわんやでした。

親戚とはいえすっかり疎遠だった上にこういう面倒事に巻き込まれると、人が亡くなったというのにしみじみしたりもしないもんだなぁ、なんだかなぁ、と少し複雑な気持ちになりました。

 

☆今月の好評歌は16番、小幡さんの

「塩ゆでがいづばん次はずんだだな」故郷の秋のえだまめ畑

となりました。

方言が生き生きと脳内で再生されますね。枝豆食べたくなりました(笑)。

by sozaijiten Image Book 10