短歌厚木水甕 澪の会

神奈川県厚木市の短歌会「澪の会」のブログです

*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見をブログ管理人(畠山)が独自にまとめたものです。各歌の著作権は各作者にあり、ブログ内で例として挙げた歌で著者名を記していないものの著作権は私(畠山)にありますので、そのまま真似してどこかに投稿したりは絶対にしないでくださいね。尚、「こう直したらどうでしょう・こんな感じに歌ってみたらどうでしょう」として書いている歌はその歌の原作者様(各歌の()内の名前の方)に著作権があるものとします。

◆口語、文語

口語と新カナ(現代仮名遣い)、文語と旧カナ(歴史的仮名遣い)はごっちゃになりがちですが、似て非なる物です。

 

口語短歌を旧カナで作っても構いませんし、文語短歌を新カナで作っても構いません。前者は口語を使う意味を打ち消してしまうのであまり多くはありませんが、文語短歌を新カナで作る人は多く、現代短歌では一般的です。

例:口語を旧カナで「うぐひすはゆふぐれにちよつと遠い山へと行つた」(*)

文語を新カナで「うぐいすはゆうぐれにすこし遠き山へと行きたり」

(*遠いの「い」は「ひ」にはなりません。鶯、夕暮は例として分かりやすいよう敢えてひらがなとしました。)

 

また新カナ・旧カナのように一度こっちで作ると決めたら変えてはいけないものではなく、作品ごとに変えても構いませんし、何なら一つの作品の中でここは口語、こっちは文語と使い分けるのもありです。

作品としてより効果的なもの、より作者の思うものを表現するのに合致するものを選びましょう。

 

では口語と文語の違いってなんでしょう?

口語はいわゆる話し言葉です。日常会話や発表などで口から発する言葉が口語で、脚本やセリフなどそれをそのまま表記したものも口語です。

文語は作文や記録など書き記す場合に使われる言葉で、口語の「話し言葉」に対し「書き言葉」とも言われます。

 

もっとも近代までは娯楽小説なども「」で括られるセリフ部分以外は文語で書かれるのが一般的だったのですが、今はもういわゆる地の文も口語で書かれているものが多いですね。特に「言った・行った・書いた」など実は口語なのですが今は当たり前に本などで使われていますね。

「言いたり・行きぬ・書きおり」など文語になると普段使わないため違和感を覚え小説などの作品世界に没入しにくいというのもあるかもしれません。

 

けれど短歌は一応「文学」であり「言葉を書き記して作品としている」ので基本的には文語で作るのが正解です。

しかし同時に「歌」でもあるので空気感を重視し、ただの記録、記述とならないよう敢えて口語を使う場合もあります。

更に最近では小説なども分かりやすいように口語で書かれたものが増え、普段使うことがないため、文語では読者はおろか自分(作者)もピンと来ないというような言葉もあります。

作者の感動を如何にブレずに読者に再現してもらうかが肝心なので、違和感があるなら「文学作品だから何が何でも文語で!それが正統派!」というような理由で拘るのはやめましょう。

また口語の方が新しいものや考え方、今時の日常を歌いたい場合など、より生き生きと表現できることも多いですね。

 

口語短歌といえばやはり俵万智さんの「サラダ記念日」が有名です。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 (俵万智

これが 「この味がいいね」と君の言いたれば七月六日はサラダ記念日 ではちょっとピンとこないというか……若者の共感もこうはなかったのではないでしょうか。

 

このように意図的に、新しい世界観・空気感を出すために使用する口語はアリなのですが、特に何も考えずにただ慣性のままに口語で作ってしまってはいけません。

口語は軽い、子供っぽい、短絡的といったイメージにもなりがちです。

短歌では「この言葉、文語だとどうなるの?この口語、必要なの?効果的?」と考えてから使いましょう。

 

まず一度文語で考えてみましょう(主に動詞)。比べてみてどっちがこの作品には合うかな、と考えてみて下さい。文語を考えることで動詞の活用を考えることにもなり、時系列や活用の間違いに気付いたり、送り仮名のチェックにもなります。

 

☆これって口語?文語だと何て言うの?

☆その口語、口語である必要ある?

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