短歌厚木水甕 澪の会

神奈川県厚木市の短歌会「澪の会」のブログです

*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見をブログ管理人(畠山)が独自にまとめたものです。各歌の著作権は各作者にあり、ブログ内で例として挙げた歌で著者名を記していないものの著作権は私(畠山)にありますので、そのまま真似してどこかに投稿したりは絶対にしないでくださいね。尚、「こう直したらどうでしょう・こんな感じに歌ってみたらどうでしょう」として書いている歌はその歌の原作者様(各歌の()内の名前の方)に著作権があるものとします。

◆歌会報 2023年11月 (その2)

◆歌会報 2023年11月 (その2)

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第138回(2023/11/24) 澪の会詠草(その2)

 

12・結婚と同時に彼はパパとなり今日は長女の授業参観(山本)

読者からは「彼」と作者の関係性が分からないため迷いが生じてしまいました。

作者の息子さんがいわゆるできちゃった婚授かり婚)で結婚と同時に父親となり、それから数年後の今日、その時出来た子供の授業参観へ行ったという歌なのかな、と思いましたが、「彼」は身内ではなくただの知人の男性で、子持ち女性と結婚したことで結婚と同時に父親となり、早速娘となった長女の授業参観へ行ったという歌なんだそうです。

ならばもう突き放して「男」とでも言ってしまった方がいいと思います。

またこの作者は「パパ・ママ」という言い方をよく使いますが、話し言葉(セリフ)として効果的に使う場合以外は「父・父親・母・母親」とした方が「歌」らしくなります。

また「今日は」というと結婚から「今日」までにどれくらいの時間が経過しているのかが分からないため、「早速」としてしまえばできちゃった婚ではなく再婚して連れ子なのかな、と分かるのではないかと思います。

結婚と同時に男は父となり早速長女の授業参観へ

としてみてはどうでしょう。結句は字余りになりますが終止形の動詞がないまま「授業参観」と体言止めにすると落ち着かないので、「へ」を付けて「行く」という暗黙の動詞を省略させて落ち着かせましょう。

 

13・誇らかにススキと栗の生け花のイガグリ三ヶ里の秋ゆく(小夜)

生け花のイガグリが「我こそは秋!」と誇らしげに見えたということで、その捉え方はこの作者らしくてとても良いと思います。

ただせっかく個性的で面白い捉え方をしているのに、それが上手く表現しきれていなくて勿体ないと思います。

ススキや里の秋なんてスパッと捨ててしまって、生け花の誇らかなイガグリだけを主役にしても良いのではないでしょうか。

生け花に我こそは秋とイガグリの三つ誇らかに主張しており

などとしてみてはどうでしょうか。

最近は以前よりかなり場面が絞られてきていて、場面も鮮やかになってきていると感じます。今回の一首目のポツンと転がって迷子の柿も良いですし、八月のカワセミの歌もよく見ているし良い瞬間を捉えているなぁと思いました。

この調子でしっかり焦点を絞って、はみ出た部分は潔く切り落としていってください。

 

14・グランドに幹より細いポール立つ争うことなく仲良くならぶ(栗田)

伸びる木々と違って人為的に立てられたポールは「争うことなく仲良くならぶ」という下の句はとても良いと思います。当たり前じゃん、と思うかもしれませんが、整然と立てられたポールに対し「争うことなく仲良く」という見方はなかなか出来ないものです。とても個性的で面白い捉え方だと思います。

ただ「幹より細い」と言われても読者には景色が見えていないので何の幹なのか、どれくらいの太さのものを想像していいかで少し迷いそうです。一首目と同じで、ここは「杉」と決めてしまった方がいいのではないでしょうか。

また「ポール立つ」と一旦切っていますが、結句にも「ならぶ」と終止形があり、結句の終止形の方に重さを持たせたいので「ポール立ち」として下の句に続けてしまった方がいいかもしれません。

また作者は「木よりずっと細い」という部分に目が行ったのかもしれませんが、この歌の核は下の句の「争うことなく仲良くならぶ」だと思うので、「木より細い」という印象は却って邪魔にならないでしょうか。

グランドの杉の伐られてポール立ち争うことなく仲良くならぶ

と上の句は下の句の状況に至る知識としての情報にとどめて視覚的な印象を持たせない方が、下の句の「仲良くならぶ」という視覚的印象を強くする気がします。

 

15・半世紀隣り合わせの住人は爽やかな秋に旅立ちました(戸塚)

実はこの歌、「旅立ちました。」と「。」付きで送られてきました。御覧のとおり、歌というより極々普通の文章という感じなので予測変換機能で勝手に「。」が付いてしまい、そのまま送信されたのだと思います。

文体的に敢えて小説の一節風の意図的な演出なのかな、と思いましたが、そうではなかったようです。

まぁ演出としても「。」は要らないのではないかと思いますが、この小説風の文章は今回活きているのではないかと思いました。

全部が全部この調子だとさすがに「歌」という感じではなくなってしまうので問題ですが、この一首だけポンと出るとこの「歌らしくなさ」が逆に新鮮で、何とも言えない客観的な感じが半世紀も隣り合わせだった人の旅立ちに対し半世紀分の様々な場面に思いを馳せていそうな作者を思わせます。

こうした方がいいのでは、という部分は特にありません。良い歌だと思います。

 

16・黙々と二人生け垣の剪定す次男おだてて兄を褒め完了(大塚)

息子たちを褒めておだてることで(自分は手を動かさず)生垣の剪定を進めるちゃっかり者の母、というちょっとクスッとしてしまう場面だと思います。

結句の「兄を褒め完了」が九音使ってもまだちょっと無理矢理感を感じてしまいます。

次男と兄とあるので「二人」と言わずともいいのではないでしょうか。また「黙々と剪定する息子ら」と「息子らをおだてる母」の両方を一首に入れるのは厳しいような気がします。どうしても「黙々と」と「おだてる」が意味的に反するため三十一音で無理なく両方を入れるのは難しいと思います。

「おだてられつつ黙々と垣根を剪定する二人の息子」か「次男をおだて、兄を褒めることでちゃっかり剪定を進める」のどちらを主役にするか決めましょう。

この歌からすると後者の方が近いのかなと思うので

着々と柘植の垣根を剪定す次男おだてて兄を褒めつつ

などとしてはどうでしょうか。初句を「一日に・週末に・晴れた午後・秋晴れに」などとしてもいいかもしれません。

 

17・今朝の川鮎釣り人の姿なく産卵のため期限早まる(名田部)

自然保護のため鮎釣りには漁業組合の決めた遊漁期間があり、遊漁期間内であっても釣りを楽しむためには有料の遊漁許可証が必要です。

気候の影響か、鮎の産卵が例年よりも早まったのでしょうか。遊漁期限が早まり、今朝の川には鮎釣りの人の姿がなかったという歌だと思います。

字余りですが「今朝の川は」「今朝の川に」など助詞が必要でしょう。また「鮎釣り人の姿なし」と切ってしまった方が良いでしょう。

「姿なく」だと「姿なく産卵のため」「姿なく期限早まる」のどちらかに文章が続かないとおかしいですが、どちらも意味的に繋がりませんよね。

意味的には下の句「産卵のため期限が早まった」から上の句「今朝の川は釣り人の姿がない」にかかっているわけで、逆にかかると不自然になってしまいます。

 

18・かそけくも落葉ふりしく奥山の秋深まりぬ 吾も枯れたり(緒方)

何だかちょっと和歌のようですね。美麗な感じではありますが和歌の慣用的な表現で、上の句はあまり作者らしさというか個性は出ていないと思います。

ただ結句に「吾も枯れたり」と来たことで俄然作者らしさが出たと思います。

「奥山秋が深まる」と「奥山秋が深まる」とで全然印象が変わって来ると思うのですが、どちらが良いでしょう。前者は「奥山」後者は「秋」の方に印象が傾きますね。

私は「奥山に」の方がいいかな、と思います。

 

19・(はや)くだれか疾く止めてよ逃げ場なきガザ地区に降る砲弾の雨(小幡)

何でも「神」として受け入れる宗教観の日本人からすると一神教は憎悪の根源にしか見えませんね。他者には寛容を求めるのに自身は寛容じゃない。聖地どころか争いを生み出し続ける邪悪の地にしか見えません。

どちらも譲らずそれぞれの土地や命を奪い合い、最早どちらも引けない泥沼に。人類を滅ぼそうとする共通の敵でも現れない限り、人間は戦い合っていつか滅ぶのでしょうか。

ウクライナもそうですが、報道される瓦礫の山や土埃にまみれた子供の姿などを見ると、殺し殺されてもうどちらも引くに引けないのも分かりますが、とにかく一旦殺し合いをやめて!と思ってしまいますね。

歌としては重い題材の社会詠ではありますが、素直な心情の吐露といった感じで誰もがすっと頷ける歌なのではないでしょうか。

 

20・人の居ぬことを確かめイガを踏む子どもじみたる音立てつぶる(金澤)

結句は「つぶす」だそうです。「つぶる」だと目を閉じて音を楽しんでいるのかなとも取れてしまうので、投稿の際は誤字にはお気を付けください。

「人の居ないことを確かめて」「子どもじみた音を立てる」という行動がとても作者らしくていいですね。

「子どもじみた行動を楽しむ自分」に何ともいえない恥ずかしさを感じつつも楽しみたい心を抑えられず実行してみる、日々のちょっとした行動を楽しむ作者の遊び心とおちゃめさが現れていてとても良い歌だと思います。

「イガを踏む」と一旦切っていますが、ここは「イガを踏み→音立てつぶす」と続けた方がいいのではないでしょうか。

 

21・水甕のページをゆるりと繰るる宿伊豆長岡に言葉を探す(川井)

我々は短歌結社「水甕」会員なので「水甕」といえば短歌の小冊子を思い浮かべますが、一般的に「水甕」と言えば「水を入れる甕」を指す言葉のためこの水甕は「」で括った方がいいのではないでしょうか。

「繰(く)る」には「順にめくる」という意味がありますから意味としては間違っていないのですが、「繰るる宿」という活用はしないと思います。「繰る」は辞書を引くと[動ラ五(四)]と書いてあると思います。これは現代では動詞でラ行五段活用、古文で四段活用をする、という意味です。「揺れる」などは[動ラ五(四)]の他に[動ラ下二]とあり、このラ行下二段活用により文語では「揺るる」と活用することもあるのです。

ですから「繰る宿」なら文法的に間違いではないのですがそれだと四音になってしまうので、ここは普通に「めくる宿」でいいのではないでしょうか。

また結句の「言葉を探す」ですが、この歌一首として見れば何も問題ないのですが、最近覚えている中にも「汗のごと言葉あふれよ」「父にかける言葉を探す」というような歌があったなぁと思い、似たような表現が続くのはどうなのかなぁと少し思いました。これだという言葉が思い浮かばず、日々「言葉を探して」いるであろう作者の気持ちはとてもよく分かりますが、「ねじりを解いた朝顔」「抱え込む大玉スイカ」「黄の紙を山、谷折り」等、見たままをきちんと他者に分かるよう言葉で表現できる作者ですから、そんなに言葉を探していることを歌わなくてもよいのでは、と思ってしまいます。

「めくる夜伊豆長岡の宿のかたすみ」「めくりつつ伊豆長岡の夜はしずかに」などでもいいんじゃないかなぁ、と思うのですが。

 

22・失明の猫の右目は暗闇に光返さずくらぐら開く(畠山)

先月は歌会の前日の夜に突然飼い猫の目が真っ赤になってしまい、慌てて病院に駆け込んだところなるべく早くかかりつけ医にしっかり診てもらった方がいいとのことで、夜遅くに急遽金澤さんに歌会資料作成をお願いし、歌会当日は朝から病院へ駈け込んで診察・検査をしてもらい、途中から歌会に参加、とバタバタしてしまったためブログの歌会報もお休みさせていただきました。

その後の検査で、高血圧により眼内血管が破れて目の中で出血してしまい、網膜が剝がれてしまったということで、出血してしまった右目は失明、一見何ともない左目もかなり出血が進んでいるということで、血圧を下げる飲み薬と炎症を抑える目薬で対処することとなりました。

ひと月経って真っ赤だった右目も出血が治まりほぼ元の色に戻ってはきましたが剝がれてしまった網膜は戻らないようで、猫の特徴である暗闇の中でも僅かな光に反射して緑色にキラリと輝く目ではなくなってしまいました。

電気を消した後など、暗い場所で名前を呼ぶとくるりとこちらを向いてくれるのですが、左目はキラリと緑に輝くのに対し右目は開いてこちらを見ているのに暗いままで、あぁこの目は視力を失ってしまったんだな、と実感してしまいました。

まぁ歳が歳なので(16歳)生きててくれただけでもありがたいのですが、躓いたり足を踏み外したりと「もう見えてないんだな」と実感すると切なくなってしまいますね。

 

☆今月の好評歌は11番、畠山の

五十年太鼓率ゐた偉丈夫の引退宣言 小さき祭に

となりました。

観客も少なく寂れた感じの小さなお祭で、半世紀に渡って率いてきた活動の引退宣言をした先生。明るく振る舞いながらもやはりどこか寂しそうで印象的でした。

By PhotoAC ドンベイ