短歌は作者の感動(心が動いたこと)を読者と共有することが大事ですが、感想文になってしまわないように気を付けましょう。
また短歌は読者との「共感」を目的としますが、読者にも抱いてほしい感情を直接言い切って決めてしまわないようにしましょう。これをするとお説教のように感じたり、「うん、まぁそうよね」という「同意」は得られても「共感」は得られません。
特に注意して欲しいのが戦争や災害などを内容に歌う場合です。近代短歌になり雅なこと、美しいものだけを歌うのではなく、悲しいこと、ショッキングなことを歌う人も増えました。
しかし特にテレビで見た、記念館で見た。それでとてもショックを受けたので歌にした、というような時は要注意です。
「(テレビや記念館で)若き特攻隊員の遺書を見て、なんて悲しい、戦争はひどい。このことを忘れずに、もう繰り返してはいけないと思いました。」
これをそのまま歌にしてはいけません。それはただの感想文であり、お説教なのです。
あなたが見た若き特攻隊員の遺書とはどんなものだったのでしょうか。色褪せた紙、達筆または幼さが残る文字、角ばった文字、丸みを帯びた文字、家族を想う言葉が続く、などあなたが「悲しい、ひどい」と感じた具体的な理由があるはずです。そこを具体的に描写し、それらの情報を提示した結果、読者も「悲しい、ひどい、繰り返しちゃいけない」という感想を抱くように導きましょう。
テレビ番組や記念館を見る・訪れる側の人ではなく、テレビ番組を作る側、記念館で展示物を決める側になって作品を作りましょう。何を提示したら読者は「悲しい、ひどい、繰り返しちゃいけない」という気持ちになるでしょう。プロデューサーとして腕の見せ所です。
また災害やドキュメント番組をテレビで見てショックを受けたことを歌にしようとすることなども要注意です。
現代になり「自身は安全な状況にいながら」あたかも現場にいるようなショッキングな映像を見られる時代となりました。
この「自身は安全な状況にいながら」というのがポイントです。確かに悲惨な現場の映像などには強い衝撃を受け、心が動きます。けれど「実際は体験していない」のです。それを、映像を見たことにより「体験したつもり」になって歌うと、ただの感想文になってしまったり、読者には作者の思う程の衝撃が伝わりません。
一度客観的になって考えてみてください。あなたは「それを体験した」のですか?違いますよね。「映像で見た」ことが実際にあなたのした体験なのです。
ですから、そこを歌いましょう。あなた(作者)が強く心を動かされた。それは事実です。ならばどういう映像を見て衝撃を受けたのか。
例えば水害ならどんな色の水がどのように押し寄せるところに衝撃を受けたのか。立ち並ぶ民家の屋根に届きそうなほど、硬い石の橋をばっきりと折って、屋根を剥がし、家を薙ぎ倒し、水というより泥となって、など色々とあなたが衝撃を受けた具体的な情報があるはずです。そこを歌にしましょう。
作者が実際に「体験」したことを歌ったものは作者と読者の間にあまりズレが生じません。あなたが実際に見た光景を歌う分には問題ありません。
けれどテレビや映画、本、記念館、美術館などを通して「誰か他人によって作られたもの」を見た場合、それを意識してください。あなたは自分でその情報を「見た」つもりでいますが、実は「他者の意思によって選別された情報」を「見させられて」いるのです。そのことを意識しつつ、実際にあなたが感銘を覚えた具体を探しましょう。
また、感想文にならないように、嬉しい、楽しい、美しいなども作者の感情を直接言ってしまわないように気を付けましょう。
嬉しいとか悲しいなど、その時の感情こそ作者の言いたいことなので、言ってしまいたくなる気持ちは分かるのですが、それらの感情を表す言葉は基本的には「概念」なのです。
概念というのは、なんとなくは共通したイメージが思い浮かぶものですが、実は人それぞれ微妙に思い描くものが違うものです。
「悲しい」と言ってしまった時、読者の頭に思い浮かぶのは読者がそれぞれ今までしてきた体験で感じた「悲しい」であり、読者の頭の中には「その悲しいという感情を感じたそれぞれの場面」が思い浮かんでしまうのです。
そうではなく、作者が見たものと同じものを見て(イメージして)、同じように「悲しい」と感じて欲しいのです。
そのために作者は「見たものを再現する」ことに力を注いでください。読者の頭の中に作者が悲しいと思ったその場面を再現させることが大事で、「その場面を見た作者の感想(感情を表す言葉)」は歌の中では言ってしまわずにこっそり横に置いておきましょう。
「私はこんな場面を見て悲しくなりました」という感想文にならないように気を付けましょう。感想文では「まぁ、そうだったの。そうよねぇ。」という同意は得られるかもしれませんが、感動の共有にはなりません。
実のところカメラマンと歌人は似たような思考で作品を作っていると思います。題材の選び方、切り取り方、撮り方、どれも似ていると思います。
カメラマンは正に自分の感動を写真・映像を通して視聴者にも自分と同じように再体験できるよう作品を作ってくれていますよね。そしてそれにはただその方向にカメラを向けて撮ればいいというものではないでしょう。構図や手法を凝らし、考えて一枚の映像を作っているはずです。被写体の本質を捉えるべく、専門的になっていく人も多いですね。
ただ、歌人は風景、人物、日常(生活)、料理、動物、植物、報道など、カメラマンよりは個人で扱うジャンルが広いので「専門家」という気分は薄れてしまいがちですが。でも常にカメラマンの気持ちで作品を作りましょう。カメラマンのように得意とする分野を絞って作ってもいいかもしれませんね。「料理の歌なら誰にも負けない!今にも匂いが漂ってきて食べたくなるような歌を作れる!」など料理写真家ならぬ料理歌人など、出来ればカッコイイと思います。
読者にも感動の共有をさせてあげる、読者を作者が求める感情に導く、そんな気持ちで、映画やテレビ番組を作る側の立場になって「心が動いた場面の再現」を目指しましょう。
☆感情を直接言ってしまわない!
☆感想ではなく、具体的な場面の再現を!