◆歌会報 2023年7月 (その2)
*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見を畠山が独自にまとめたものです。
第134回(2023/07/21) 澪の会詠草(その2)
13・夕月夜義母を惜しみて濃紫トルコキキョウのはらりと揺れて(山本)
月がかかっている夕方、義母を惜しむように濃紫(こむらさき)トルコキキョウがはらりと揺れている。
よく挑戦的な歌を詠んでくださる作者にしては少し大人しい気もしますが(笑)、詩的な風景ですね。
ただ上の句も下の句も「て」という接続助詞で終わっているため文章が落ち着きません。どちらかを変えましょう。
夕月夜義母を惜しめる濃紫トルコキキョウのはらりと揺れて
夕月夜義母を惜しみて濃紫トルコキキョウのはらりと揺るる
などとなりますが、「惜しみて」と理由を説明する形になると詩的寄りから報告書寄りになってしまいます。今回は全体的に柔らかい詩的なイメージの歌ですし、下の句を「て」として流して終える方が良いのではないでしょうか。
14・浜木綿の潮風匂うサーファーは波に寝そべる麦わら帽子(小夜)
浜木綿(はまゆう)の潮風匂うサーファーは麦わら帽子を被って波打ち際に寝そべっている、ということでしょうか。
切り取った場面、歌いたい景色は夏らしさ溢れるとても素敵な風景だと思います。
ただこのままの文法だと「サーファーは」と主格の助詞が使われていますから、「サーファーは寝そべる」もしくは「サーファーは麦わら帽子(である)」のどちらかの意味となります。そして「サーファーは寝そべる」という意味の場合、結句の麦わら帽子には「麦わら帽子に(~で・~を被り)」という助詞が必要になります。
でも作者も結句に持ってきているように、一番印象的だったの(主役)は「麦わら帽子」なのではないでしょうか。
そうすると「麦わら帽子」を主役にするためにはまず「サーファー」を主役から落とさねばなりません。「サーファーは」とすると主役がサーファーになってしまいますから、「サーファーの」とします。この場合の「の」は主格(が・は・の)の「の」ではありません。「犬の尻尾」のように後ろに続く名詞の説明となる連体修飾格の「の」です。ここでは「サーファーの麦わら帽子」という繋がりになり、麦わら帽子の所有者を説明する形となります。
また「浜木綿」という“いかにも意味がありそうな名詞”は切り捨てた方が良いです。
また「波」に寝そべるで合っているのでしょうか。サーフボードに乗って波に乗っているのでしょうか。私は麦わら帽子を顔にかけ日除けにして「浜」に寝そべっている様子を思い浮かべたのですがどうなのでしょう。麦わら帽子を被ったまま波に乗ったら落ちてしまいませんか(笑)。
夏の日の潮風匂うサーファーの浜に寝そべる麦わら帽子
個人的にはこちらの方が落ち着く感じがします。「夏の日の潮風匂うサーファーの」までが全て「麦わら帽子」の修飾(説明)となり、そういう麦わら帽子が浜に寝そべる、という倒置法となります。
普通に言えば寝そべっているのは当然「サーファー」なのですが、「麦わら帽子が寝そべっている」とすることで一番印象的なアイテムである麦わら帽子に意識が集中し、一気に「風景の説明」から「歌」へと変わるのが面白いですね。
15・バリトンとソプラノデュオの歌声よ若さに溢れ脳裏を離れず(戸塚)
これも2番の歌と同じで「脳裏を離れず」と言ってしまったため作者の報告になってしまい、歌(背景を作り上げる)になりきれませんでした。
バリトンとソプラノデュオの歌声が「どのように響いている」という、場面の再現のみを目指してみてください。
重く軽く、音の波に飲み込まれる、肌を震わせ、細胞が生まれ変わる、脳まで響く、などその「音」をどう感じたのかは作者でないと分かりません。
目に見えるものと違って「音」など見えないものの表現を探すのは難しいと思いますが、色々と言葉を探してみてください。
16・ウ・露軍よ平和はそんなに和じゃない戦の対価を思い知りたり(緒方)
まず「和じゃない」と書いて「やわじゃない」と読ませるのは無理があると思います。「和らぐ」という時に「和」の部分を「やわ」とは読みますが、単独では「わ」もしくは「なぎ」としか読めないと思います。「ヤワじゃない」という時の漢字は「柔」で、「柔らかい・軟らかい」という形容詞であり、動詞である「和らぐ」とは意味も違います。「平和」という言葉に掛けようとするのは無理ですし、そもそも理屈が先行してしまっていると思います。
また言いたいことはとても良く分かるのですが、五七五七七の形に嵌めた意見表明文であって「歌」ではないと思います。そのため「同意」は得られるのですが「共感」には足りません。
1・2番の歌でも言っていますが、「歌」の仕事は舞台(世界)を作り上げ、そこに読者を引き込み読者自身に体感させ感情を湧かせることです。
しっかりとした背景(切り取った場面)を作るにはやはり具体的な物が必要です。「お城」と書いた紙が貼ってあるのと、しっかり描いたお城の背景があるのとでは場面への入り込み方が違いますよね。もしディズニーランドのお城が「立派なお城」と書かれた板だったらお客は入らないと思います。
何をもって「平和を手に入れるのは簡単なことじゃないな」と感じたのか。日々増えゆく死者数か、崩れて瓦礫だらけになった街か、横倒しになった戦車か。作者にそういう感情を湧かせた時の背景を丁寧に作り上げて欲しいと思います。
17・「診察が遅れています」の張り紙に六時間過ぎ皆待っている(鳥澤)
コロナが五類になり、マスクを外す人も増えて来て、当然のことながら感染者が増え、医療機関を圧迫しているようですね。
五類になった=ウィルスが弱くなったというわけではないので、引き続きうがい手洗いなどの感染対策や人が多い場所でのマスクなどは続けて欲しいところではあります。
さて、コロナのせいか緊急の病人が入ったとか医師の都合や体調のせいかは分かりませんが大幅な診察遅れが出て、六時間経っても患者は皆待っている、という歌ですが、何かこう惜しいところで歌になりきれていないように感じます。
感想を直接言っているわけでもないし、張り紙など背景もちゃんと描かれてはいるのですが…。う~ん、何でしょう。
「六時間過ぎ皆待っている」が報告的すぎるのでしょうか。隙間なく患者が詰まる待合室に診察遅れの張り紙がぺらりと貼ってある、くらいの描写の方がいいのかもしれません。六時間過ぎても減らぬ待合へ「診察遅れ」の張り紙一枚、などのように「六時間も待っている!」という感想を含んだ描写より「黙々と待ち続ける患者たち」や「患者が詰まる場所へ無機質に貼られた紙」という引いた目線からの描写の方が歌になるのではないかな、と思います。
18・夜の風朝の物干しハンガーの絡んでしまい知恵の輪となり(栗田)
夜の風によって朝洗濯物を干そうとしたら物干しハンガーが絡んでしまって知恵の輪となっていた。
物干しハンガーが知恵の輪に、という見立てがとても面白いですね。洗濯物を干すという日常の家事の中に歌を見出す作者の姿勢はとても良いと思います。
「夜の風朝の」と続いてしまうところが気になります。「夜の風に」として「夜」は「よ」と読んでもらいましょう。
また「朝の物干し・ハンガーの」と二句と三句で「物干しハンガー」という名詞が分断されてしまうのも気になります。字余りにはなりますが二句に「物干しハンガー」をまとめて置きたいですね。
また「知恵の輪となり」は「なる」という動詞の連用形です。「~となり、どうなった」と結果となる述語がないと落ち着きません。「絡んでしまい」も連用形で、この文には述語が存在しません。ここは「知恵の輪となる」と終止形にしてしっかり述語を決めましょう。
夜の風に物干しハンガー絡まりて知恵の輪となる朝のベランダ/七月の朝
などとしてみてはいかがでしょうか。
19・初めてのさくらトラムにベビーカー笑顔の孫とすみっこに乗る(金澤)
「さくらトラム」は都電荒川線の路面電車の愛称です。が、知名度が低いのであまり活きていないのが惜しいですね。
知名度が低くても漢字や単語が歌の場面の印象付けの助けになるような固有名詞(紅葉坂=紅葉が茂っている坂道なんだろうな・星が丘=星が多く見えそうだな、など)ならいいのですが、今回「さくら」という言葉は場面の印象付けにあまり役に立っていないと思います。例えば桜の季節なら、花も人も溢れ出したる川沿いを「さくらトラム」にガタゴトと行く、とかいう歌なら知名度が低くても固有名詞として活きるのではないでしょうか。
しかし今回「さくら」は歌の場面に関係なさそうですし、路面電車自体が少ないことと路面電車は「路面電車」という名称の方が一般的なため「トラム」という単語はそもそも知らないという人が多いのではないでしょうか。「乗る」と言っているから何か乗り物なんだろうな、くらいしか伝わらないかもしれません。
また「初めての」と「笑顔の孫」に引っ張られ過ぎてしまったような気もします。お孫さんのことになると可愛すぎて、この作者のいつもの「明るい皮肉屋」的な見方が出来なくなってしまうのかもしれませんね(笑)。
ガタゴトと路面を行けり〈さくらトラム〉ベビーカー寄せすみっこに乗る
陽炎の立つ路を行く〈さくらトラム〉
とりあえず「さくらトラム」が路面電車、路面を走る乗り物であることは分かるようにした方がいいかと思います。前者のように特に季節のことに言及しなければ「さくら」のイメージに引っ張られて春の景色を思う人が多いと思いますが、それはそれでいいのではないでしょうか。
もしくは「さくらトラム」は切り捨てて分かりやすさにシフトし、
初夏の路面電車のすみっこにベビーカーの孫の笑顔と
などとしてもいいかもしれませんが、ちょっとありきたりで面白くなくなってしまいますね。
「小さな車両なので身を縮めて乗っていた」という所が歌えると作者らしさが出て面白くなる気がするので、是非挑戦してみて欲しいです。
20・雨止みて朝の阿夫利嶺くっきりと濃き藍色の姿現わる(名田部)
情景がよく分かりますね。文法や言葉使いも無理がなく、すんなりと躓かずに読め、良い歌だと思います。
ただ「現る」に送り仮名の「わ」は付きません。「現」までを「あらわ」と読み活用で変化したりしないからです。一応政府の取り決めとして「わ」を入れても「許容」ということにはなっているので、学校の試験などでは○になりますが、本則としては「わ」は入れません。「現」の後ろは「現る・現す・現れる・現れた」などと変化するのでちゃんと書きます。
今回「姿現る」でも間違いではないのですが、「現る」というと「阿夫利嶺の姿が現る」という文法になり、主語は「姿」になります。「姿」が主語なのですが、実はこの時読み手の主観は作者にあり、阿夫利嶺から離れた所から阿夫利嶺を見ている感じになります。雲や靄が晴れたり、夜が明けたり、トンネルを抜けて視界が開けたり、など何らかの作用があって山の姿がはっきり見えるようになったという感じですね。
これを「現す」とすると「阿夫利嶺が姿を現す」という文法となり、阿夫利嶺が主語になります。そして読者の主観も阿夫利嶺の方に入ります。阿夫利嶺(山)に意思が宿りより強い主格となるので、この歌には「現す」の方が合っているのではないでしょうか。
「くっきりと濃き藍色の」という具体的な描写はとても良いです。これからもこういう歌を目指してくださいね。
21・指先を細やかに使い黄の紙を山、谷折りに おサルが現わる(川井)
こちらも「現る」で「わ」は入れません。
折り紙という技術によって一枚の紙から「おサルが現れた!」という驚きを題材にした目線が面白いですね。
上の句も「折り紙」と言ってしまわずに、作者の目に映った場面を丁寧に描いているため、読者も目の前で折り紙が行われているその場を見ているような気持ちになれます。
それだけに結句が八音なのが勿体ないと思います。「サルが現る」「おサル現る」などにして七音に収めて欲しいですね。「サルが現る」とすると「が」によって強調されるためより「うわー、ただの紙がサルになった!」という驚きにはなりますが、あくまでも折り紙作品としての「サル」でありややひょうきんなイメージが湧くことから「おサル」という言い回しも中々に絶妙で活かしたい気が…難しいですが作者の判断に任せたいと思います。
22・今日も又夕食の具こがしたにぼけか一人身悲しさ悔しさ(山口)
まず上の句は「今日もまた夕食の具をこがしたり」と助詞を入れて整えましょう。
そして「呆けたか」とか「悲しい」とか「悔しい」とかの作者の気持ちの報告をしてしまってはいけません。
悲しいなぁ、悔しいなぁ、と感じたその場面を客観的に見て作り上げるのが歌です。
「今日もまた夕食の具をこがしてしまった」という場面はとても良いです。作者が言ってしまわずとも、老いてきたなぁとか、長年料理は奥さんに作って貰っていたから手慣れていないけど自分でやらないといけなくなってしまったのだなぁなど、切なくて悲しい感情が湧きます。
今日もまた夕食の具を焦がしたり独り身となり一年が経つ
などとして作者の気持ちの報告にならないよう、下の句まで背景をしっかり組み立ててください。
23・闘病の友への電話は繋がらず メールに一言「ごめんなさい」と(飯島)
電話というのは時間的にも拘束されるし意外と疲れるものなので、闘病中の身では対応するのが辛かったのでしょう。番号通知などで電話が作者からのものであることを分かった上で取らなかったことを「ごめんなさい」とメールで送ってきたのだと思います。
ただこのままだと電話で何か伝えようとしていたことを言えなかったので作者がとりあえず「ごめんなさい」とメールを送った、とも読めてしまいます。
「ごめんなさい」とメールの来おり/メールへ一言「ごめんね」の文字
など、闘病中の友からの「電話に出れなくてごめんね」という意味のメールであることをはっきりさせた方がいいと思います。実際は「ごめんなさい」だったのだと思いますが、短歌には文字数制限がありますのでそこは臨機応変、多少変えて整えてください。友なので「ごめんね」でも違和感はないと思います。
24・ドクダミゆ夫の作りし化粧水訝しみつつ秘かに試す(小幡)
ドクダミより夫が作った化粧水を訝しみながらも試してみる作者。
昔からへちま水やアロエ、ドクダミを煎じたものなど「お肌にいい」とか言われている民間美容法はいくつもありますよね。実際はキュウリパックなど逆に肌に良くないものや、毒にもならないがプラスにもならないものも多いようですが、わざわざ妻のお肌を気にかけてお手製で作ってくれるその心意気はちょっと嬉しい…かも?(笑)
「ドクダミゆ」の「ゆ」は「~より・~から・~によって」という意味の古い言い回しです。今回は「ドクダミから/より」という由来を示す格助詞として使われています。
「訝しみつつ秘かに試す」という下の句がやや惜しい気もします。おそるおそる頬の端へとか、まずは一滴薄く伸ばせりなど、訝しみつつもちょびっと気になって使ってはみる、ということが伺えるような行動そのものが来るともっと作者の中に入れるのではないでしょうか。
25・灼熱の道に焼かれた蚯蚓らの骸の並びに戦場思ふ(畠山)
こちらのミミズはもう死んだ後です。うねうねと苦しそうにもがいていたのを見た後だけに、余計に「辛かったろうなぁ。苦しかったろうなぁ。」という感情が湧き、そんな死骸がいくつも転がっているのを見て、戦場の景色が頭をよぎりました。
一日も早く戦争は終わって欲しいですが、侵略側がやったもん勝ちになるような結果になってはならないとも思います。
歌としては四句が八音でした。うっかりしていました。「並ぶ骸に」とすると七音なので音数を整えたいと思います。
☆今月の好評歌は4番、鳥澤さんの
咲きたての月見草はレモン色 月をさがせば待宵月よ
となりました。
月見草を見て本物のお月様はどこ、と探す作者の行動も面白く、「咲きたて・レモン色」と月見草の様子もしっかり描かれていて、すっと場面の中に入れる素敵な歌ですね。