短歌は日記ではなく、作品として他者とイメージや感動を分かち合うものとして作りましょう。
そこで読者に作者と同じものを脳裏に描いてもらうために必要なのが「具体」です。
なーんとなく言いたいことは分かるわぁとか、ぼやーっとした印象は掴めるんだけどね、というのではダメなのです。
短歌は言葉で描く絵葉書とイメージしてみてください。
何が描いてあるか分からないと相手にはちゃんと伝わりません。
なんとなく緑の三角が描いてあれば「あぁ山についての歌ね」くらいまでは分かるかもしれませんが、実際山を見て感動した作者と同じ感動には到底至らないのです。
そこで必要なのがデッサン力です。まず必要なのは「何を描いた」のかちゃんと分かること。そしてデッサン力を付けるにはよく観察しなければなりません。
まずはよく見て、再現する。
最近は大したデッサン力もないのに勢いだけで描き殴ったような前衛画家なんかも増えていますが、正直に言って私は前衛画家の絵でいいなと思ったものは少ないし、「よくわからん」というのが本音です。
短歌でも前衛的な作品を作る人が増えていると聞きますが、絵と同じでやっぱりまずは基礎的なデッサン力あってのものだと思っています。
分かる人だけ分かってくれればいいの!と尖らずに共感を目指しましょう。
誰が見ても分かるものが作れる、が基本であり、基本に則ったものこそが最終的により多くの共感を得ると思います。
さて、読者に作者と同じものをイメージしてもらうためには概念的なものや特殊な知識(いわゆる常識を超える知識)は禁物です。
特殊な知識がないと分からないものはもうその時点でイメージの共有ができません。義務教育を受けていれば分かる知識、日本で普通に生活していれば大抵は知っている情報を基礎として作りましょう。
ただし珍しい花の名前や花言葉、地名など、読者が「何のことか分かるけれど知らなかった知識」を入れるのはアリです。この「何のことか分かる」というところが重要なので気を付けてくださいね。「あ、これは花の名前だろうな」「へぇ、こんな花言葉なんだ」「地名かな」「この言葉、こんな意味があるんだ」などと分かる状況で使いましょう。
そして作者と読者のイメージが一番近くなるのは具体的なものを見て描いたもの。つまり具体的な情報が入っているものです。
例として「花に蝶が止まっている」様子を歌にして共有してみたいと思います。
まずは良くない例ですが一首それっぽく作ってみますね。
例1:「嗚呼春よ蝶も喜びひらひらと花に止まりて可憐な姿」
どうでしょう?一応音数は定型(五七五七七)に則っていますし、なぁんとなく春の雰囲気は分かりますね。初心者なら音数も合っているしこれで上出来です。
けれどどうでしょう。これを読んだみんなのイメージは一致するでしょうか?
少し話が戻りますが、「花に蝶が止まっている」これだけでもなんとなく似たようなイメージは作れるでしょう。でもまだまだズレはあります。
どんな花に?どんな蝶が?どんな場所で?どんな様子で止まっているの?すぐ飛び立ちそうなの?じっと動かず止まっているの?
絵で表現するなら、花のかたちや色、蝶の羽の色や模様、蝶の様子などをよく見て描きますね。短歌ではそれらを言葉で描きましょう。
そういう具体的な情報を描写すると作者と読者のイメージはぐっと近付きます。「タンポポに黄色い蝶がじっと止まっている」これで最初よりかなりイメージは近くなったのではないでしょうか。
更に観察してみます。「開いたばかりのタンポポに遊び疲れた黄色い蝶が昼寝をしているのか一体化したように翅を閉じてじっと止まっている」ここまで書けばイメージのズレはかなり縮まるでしょう。
ただし今度は情報を入れすぎて、どこが一番言いたいところかが分かりにくくなってしまう危険性もあります。
この場合「蝶が花と一体化したかのように翅を閉じて止まっている」を核として、一度入れた「開いたばかりの」とか「遊び疲れた」「昼寝をしているのか」は削ってしまいましょう。
そのあたりを考慮して詠み直してみますね。
例2:「蒲公英(たんぽぽ)とひとつとなりて黄の蝶はじつとしづかに翅を閉ぢをり」(旧カナ)
まだちょっと荒いですが……「じっと」と「しずかに」は意味が被るので、できればどちらかを切ってもっと必要な情報(具体)を入れるか、逆にさらっと流して(情報の強い言葉を使わずに)「一体化したかのように」や「止まっている様子」を際立たせてもいいと思います。
流す、というのは、一旦歌の核を決めてせっかく情報を削ったのに、ヘタに具体的な情報を加えることでまた核がぼやけてしまわないよう、敢えて具体的ではない情報・言葉を入れるということです。
ここでは「じっと」と「しずかに」は意味が被ってしまうので、意味が被らない情報ながらも敢えて具体的ではない(核をぼかさない)情報を入れたいと思い「じっと」を「しばし」と変えてみました。「じっと」という状態の情報から「しばし」という時間の情報に切り替えてみます。
例2(改)「蒲公英とひとつとなりて黄の蝶のしばししづかに翅を閉ぢをり」
こんな感じで完成としましょうか。
または「遊び疲れて昼寝をしているかのように止まっている」の方を核にして「開いたばかり」「翅を閉じて」「一体化」を捨て、
例3:「黄の蝶の遊び疲れて蒲公英に昼寝したるかしづかに止まる」
などと詠み直してみてもいいかもしれませんね。「黄の蝶は」として蝶の主役感を強めてもいいかもしれません。
ただし例3の歌は例2に比べると具体的な事実よりも作者の主観(想像)を含んだ情報(遊び疲れてや昼寝しているのかなど)で作られているため、例2に比べると作者と読者のイメージはズレがちです。
ただそこに作者ならではの見方が出るので上手く出せれば「面白い」歌になります。
とはいえまずは「例2(改)」のように具体的な情報メインで作ることを心がけてくださいね。「でも具体的すぎると誰が見ても同じで、個性的じゃなくなっちゃうんじゃないの?」と思いますか?いえいえ全然違います。具体を歌うというのは何をどう見ているのか、どこに目線が行くのか、何に気付いたのか、実はとても作者の個性が出ることなのです。具体で歌う、が基本です。
さてどうでしょう?春の日の柔らかで静かなひと時の情景が共有できたでしょうか?
このように具体的な情報を入れることはイメージの共有にとても有効です。
「花」とか「蝶」というのはこの場合「概念」です。一言に「花」と言っても人はそれぞれ色々な花が想像できてしまいますね。「蝶」もまた色んな蝶が想像できてしまいます。
まあ短歌では「花」といえば基本的には「桜」を指すのですが、今はそれはちょっと置いておきましょう。もっと言ってしまえば、「桜」も概念です。人それぞれの思う「桜」があります。
人によって様々な「それ」が想像できてしまうもの。「それ」は概念です。「春」とか「空」とか、名詞だけでなく「美しい」とか「可愛らしい」とか……それはもう無数に「概念的なもの」はあります。
どこがどういうように見えたことが「美しい」のか、何のどんな様子が「可愛らしい」と思ったのか。「美しい」や「可愛らしい」と言ってしまうのではなく、その前の部分「あなたが実際に見たり感じたりした事実」を述べましょう。「美しい」と言わないのに読者があなたの歌を読んで「美しい」と思える、「可愛い」と言わないのに「あら可愛らしい」と思える、そんな歌を目指しましょう。
以上を踏まえた上でもう一度例1の歌を見直してみましょう。
例1:「嗚呼春よ蝶も喜びひらひらと花に止まりて可憐な姿」
どこが良くないのか分かってきましたね。
春、蝶、花、喜ぶ、可憐な、などは全て概念です。具体がないのでイメージは読む人それぞれでバラけてしまいますね。「春、花、蝶」では花は菜の花、蝶は紋白蝶などを思い浮かべる人も少なくないでしょう。「喜び」はどんな様子を見て「喜んでいる」と思ったのでしょう?
それにこの文法では「ひらひらと」は「止まりて」にかかります。読者は「ひらひらと……飛んでいるのね。えっ?止まっているの?どっちなの?」となってしまいますね。
「ひらひらと止まる」はおかしいですね。「ひらひらと」だったら「花に飛び来て」として視点を合わせましょう。
これは時間の経過を無意識に入れてしまって視点が移ってしまっているのに、瞬間を切り取ったつもりで歌を作っているから生じた矛盾です。作者はずっと同じもの(蝶)を見ているのでいつの間にか時間が経過し、視点が動いていることに気付いていないというよくある現象です。
時間経過を絶対に入れてはいけないわけではありません。しかし視点が移ったら、あ、ここで視点が移ったんだな、と読者が分かるように入れなければなりません。そうでないと正しいイメージの共有ができません。それに視点が移る=情報量が増えるですから、歌の核がぼやけがちです。ですから初心者のうちはなるべく視点が移らない場面を詠むことを心がけましょう。
このように一度作った歌などを見返してみて、「あれ、ここおかしいんじゃない?」とか「うーん、これは具体が足りないかも」と気付けるようになってきたら初心者は脱却です。まだどう直せばいいのかは分からなくても、「ここは直すべきじゃ?」と見つけられるということはそれだけ力が付いてきているということです。
自分の歌っているものが概念的なものではないか、自分の見ているものと読者のイメージを近付けるにはどんな情報が必要か、一度チェックしてみましょう。
☆作者と読者のイメージを近付けよう!
☆概念的になってない?具体的な情報を入れよう!