第117回(2021/10/15) 澪の会詠草(その2)
12・妹の故郷つめて送り来しキュウリかじりて波の音聞く(小夜)
妹さんが故郷の産物を詰めて送ってきてくれた胡瓜をかじれば、懐かしい故郷の波の音が聴こえるようだ、という場面を歌いたかったのではないかと思いました。
ただこのままの文では今現在波の音が聞こえる場所で胡瓜をかじっていることになってしまいます。
また「妹の故郷」=「作者の故郷」でしょうから「妹が故郷詰めて」「妹が故郷を詰め」としましょう。「の」を主語を表す助詞の「の」として使うならば「故郷を詰めて妹の送り来た」として「主語(妹)・助詞(の)・動詞(送る)」と並べて使用しなければなりません。「妹・の・故郷」という並びでは「妹さんの故郷」という意味になります。
また「送り来し」の「し」。意味としては「送って来た」という完了の意味として使っていると思われますが、過去を表す助動詞の「し」は「ずっと昔に実際に体験した過去」を表すものであり、この場合不適切となります。ここは「送り来た」や「送りたる」を使いましょう。
また「つめ」は「詰め」と漢字を使用し意味が通りやすいようにしましょう。キュウリも「キュウリ・胡瓜・きゅうり」とどの表記が歌として一番しっくりくるかな、ということも考えてみて下さい。「聞く」もただ耳に入って来る「聞く」よりも意識して聞く「聴く」を使った方がこの歌には合っているのではないかと思います。
また胡瓜をかじりながら実際に波音を聞いているわけではないので、「キュウリかじりて」と繋げずに
「妹がふるさとを詰め送り来た胡瓜をかじる 波の音する」
と胡瓜をかじったところで一度止めると「あぁ波の音は想像で思い出して聴いているんだな」と分かると思います。
しっかり定型に馴染んできていますし、歌いたい場面の切り取りはとても良くなってきているので、次は少しずつ文法や表記を気にしていきましょう。
13・夕焼に姿溶かして飛ぶ蝙蝠黒き大山絵本を見てる(飯島)
夕焼の赤い空に切り絵のような黒い大山が立つ背景。その大山の影には溶け込んでしまって見えないが、赤い空の部分に来た時だけ姿が現れる黒い蝙蝠。
その様子がまるで絵本を見ているようだと感じた歌ですね。
状況は分かるのですが、「飛ぶ蝙蝠」「黒き大山」と体言止めが続いてしまいちょっとブツブツと途切れてしまうところが惜しいです。また蝙蝠が姿を溶かすのは黒き山の影の方であって夕焼ではない…というか逆に夕焼の空でのみ現れるわけですよね。
あと結句なのですが「絵本を見てる」は必要なのかなと思ってしまいます。結句…歌の核であるはずですが、作者は「絵本のようだ」というところより「山の影には溶けている蝙蝠が夕焼の空にはちらっちらっと姿を現す」というところに感動しているように思えるのですがどうでしょうか。
大幅な作り替えになり全く別の歌になってしまうので作者次第ですが、見ているところはとても素敵なのでその「蝙蝠の見え方」を核に一首作ってみて欲しいですね。
14・台風一過山の鳥達木に集い喋りまくって三三五五去りぬ(戸塚)
よく分かる光景ですね。普段はどこにいるんだというくらい一本の樹に集まってきてぢゅんぢゅくぢゅんぢゅく賑やかにお喋りをしていたかと思ったら閉会の合図でもあったのか次々に飛び去ってゆき静かになるという(笑)。
「喋りまくって」という口語が活きていると思います。
ただよくある光景だけに作者ならではの個別的な視点・情報が欲しい部分もあります。
集まっている樹や鳥の名前を具体的に出すなどして曖昧な部分を減らしましょう。
また結句が「三三五五去りぬ」ではちょっと長すぎるので「次々去りぬ」などにして七音に抑えましょう。結句は締めなのでなるべくしっかり七音になるよう心がけましょう。
15・優しさって体力だよね そうなんだ儂もすっかり歳を取りける(緒方)
他人に優しくするのには体力(だけでなく経済力・時間・能力など)に余裕が必要ですよね。まず自分に余裕がなければ人に優しくなどできない。
作者は「優しさって体力だよね」という誰かの言葉に「そうなんだよ」と同意しつつ「最近優しくできてないなぁ」と何か思い当たるフシでもあるのでしょうか、「儂もすっかり歳を取りける」と言い訳とも反省とも取れるような溜息をついているような情景が見えます。
一人称が男性ならではの「儂」なところも面白いですね。
軽快に口語を連ねることで読者も共感しやすい流れを作っておきながら最後は「歳を取りける」と文語で締めたことで歌としてきちんと落ち着きました。
全部口語にしてしまうと歌としては軽くなりすぎてしまい、作品というより日記・つぶやきになってしまいかねないので口語を使う時は注意しましょう。
16・拠り所無くせし想ひスチールの書棚ひとつを空にしてより(小幡)
スチール製の本棚を思い切って整理して空にしたら、精神的な拠り所を失い心にぽっかり穴が開いたような想いがする、という歌。
「スチールの書棚ひとつを空に」という具体が効いています。
もう本当にこの方の歌は上手なので言うべきことがありません(笑)。
色々と見習いたいです。
17・友からの玉子に多めの砂糖入れ幸せ色の厚焼き玉子(金澤)
この作者は当たり前にしているような日常生活の中に普通なら見逃しがちな小さな気付きを見つけて楽しむのがとても上手な方です。
この歌も友人から貰った卵を卵焼きにするという小さな日常の歌ですが、その中に友人への感謝の気持ちや家事を楽しもうという前向きな姿勢が現れていて素敵ですね。
「多めの砂糖入れ」という具体と具体的ではないけれど作者ならではの捉え方である「幸せ色」という表現が効いていると思います。
主語がはっきりしないままに体言止めの結句がやや気になるので「厚焼き玉子は幸せ色に」「厚焼き玉子は幸せの色」などとして「厚焼き玉子は」と主語を確定してしまいましょう。
主語を確定しない場合基本的には作者が主語となるので、その場合「友からの玉子に多めの砂糖入れ幸せ色の玉子焼き焼く(作る)」と述語(この場合焼く・作る)が必要になります。
18・この香り今年二度目の金木犀異常気象にとまどう花よ(大塚)
これもまた異常気象による金木犀の二度咲きの歌ですね。
二度咲きでなくてもあの甘い香りがどこからともなく漂ってくると「あっ」と思いますが、今年は特に台風で散ってしまって「あーあ」と思っていたところに復活の二度咲きだったので多くの人の気を引いたのだと思います。
歌としては初句に「この香り」としてしまうのはどうかなというところですね。
作者は金木犀の歌を作っているのですから当然最初から金木犀の香りが脳内に漂いますが、読者は三句まできてようやく金木犀の香りを再現することになります。
ここは金木犀を先に持ってきて「金木犀今年二度目のこの香り」とした方が良いでしょう。
19・森の中を歩めばいつぞみのりしかイチョウの実が早落ちている(川井)
森の中を散歩していたらいつの間に実ったのだろうかイチョウの実が早くも落ちているよ、という歌。
場面と意味は分かりますが、不要な説明が多いかもしれません。
「森の中を歩めば」は「森行けば」で意味は通じます。まだ上の句で状況説明であって歌の核ではないので、あまり意味を持たせず流してしまいましょう。
また作者は「あらもう落ちてる!」と「早くも落ちている」ところに心が動いたのでしょうが歌としてはどのように実が落ちていたかを具体的に描写した方がイメージが鮮やかになります。
「森行けばいつの間にかにみのりしかイチョウの黄の実がころりころりと」
「つやづやとしたイチョウの実が落つ」
などどんな実「黄の実・丸き実・つやつやした実」などがどのように落ちているか「ころりころりと・ぺちゃりと落ちぬ」など具体的な情報を入れられないか考えてみましょう。
20・君がため大しき命捧げたる特攻隊の御霊忘れじ(名田部)
「感想文にならない」の項を読んでみてください。
個別的な具体がない歌は絵で言うなら「塗り絵」のようなものです。
上手に塗れても「まぁ綺麗に塗れたわね」となってしまい個人のオリジナル作品として扱うことはできません。
パッと見は拙い感じでもその人にしか描けないオリジナル作品の方が「作品」としての価値はずっと高いのです。
9番の折り紙の百合の歌のように具体的な本人の体験を歌にしてみて下さい。
21・台風に一度散りたる金木犀まだまだ負けぬと再びひらく(畠山)
これまた二度咲き金木犀の歌です。22首中4首も!
いや、だって、ねぇ。「おっ!?」てなりましたもんねぇ(笑)
三者三様ならぬ四者四様の金木犀歌ですね。ここでは「まだまだ負けぬ」と金木犀を擬人化しています。実際に金木犀がそんな意思を持って咲いたわけは当然ないのですが、一度目より強いほどに香る金木犀に作者はそんな感じを受けました。
22・炎帝の去り茜する西空や とほき時間に蟬のこゑする(砂田)
ぎらぎらと強い暑さで夏の昼を支配する炎帝こと太陽。その強い支配者は去ったものの、まだまだその影響力を示すかのように赤く染まる西の空。
まるで戦のあとの様な。そんな少しほっとするような、でも戦疲れを残したような時間帯にはっきりとではなくどこか遠い時空の先から聴こえるかのように微かに蝉の声がする。そんな歌かな、と思います。
講師の歌は時間がないと飛ばしてしまうので私も答えというか真相は全然分かりません(笑)。
☆今月の好評歌は15番・緒方さんの
優しさって体力だよね そうなんだ儂もすっかり歳を取りける
となりました。
緒方さんの今月の歌はどちらも難しい言葉や知識や計算高さがなく「良い意味で今までの緒方さんらしくない。新境地開拓か!?」と評判でした(笑)。