◆歌会報 2023年2月 (その2)
*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見を畠山が独自にまとめたものです。
第129回(2023/02/17) 澪の会詠草(その2)
14・デザートのマンゴープリン食べながら甘さも量も亡夫(きみ)に程良き(山本)
デザートのマンゴープリンを食べながら、あぁこれは甘さも量も亡くなってしまった夫が丁度好きなものだわ(でももうあなたに食べさせてあげることはできない)、と悲しむ作者かと思います。
歌っている場面はとても切なくて良いし、これも五七五七七でしっかりまとめられていて良いですね。
ただ文法的に「食べながら→程良き」とは繋がらないですよね。「食べながら」だと「程良いと思う」などに繋がらないとちょっと不自然です。
これを「食べており」として一旦文を完結させてしまえば落ち着きます。
また「程良き」は「程良し」という形容詞の「ク活用(ク・ク・シ・キ・ケレ)」の連体形です。連体形ということは体言に繋がるもので「程良き甘さ」など程良き物事に繋がらないとおかしいのです。ここは文末ですから終止形で「程良し」としておきましょう。
また「亡夫」と書いて「きみ」とルビを振っていますが、短歌に於いて「きみ」という呼び方はかなり甘い恋愛感情を含む印象となり中々上手く作用しない場合が多いです。
「きみ」を使うなら逆に内容やその他の表現から徹底的に甘さを抜かないと甘く(くどく)なりすぎてしまいます。
短歌では「夫」と書いて「つま」と読ませることは一般的なので、「おっと」では音の数が合わないなという時は「夫」と書いて「つま」と読ませることで調整できます。「亡夫」と書いても「つま」と読ませます。
15・水甕と澪の詠草なきワード君をうたいし青春賛歌(小夜)
この「ワード」というのはパソコンのワープロソフト「Word」のことではないでしょうか。澪の会(短歌教室)に通う以前に作っていた作品群をWordで見直すとそこには君を歌う青春賛歌が並んでいた、ということなのかなぁと思ったのですがどうでしょうか。
それとも水甕や澪の会のみんなが作る歌には「君」を歌ったり「青春賛歌」を歌ったもの(言葉)がない、ということなのでしょうか。
いずれにせよこのままでは状況が分かりません。
また「水甕と澪」はどちらも一般的な元の意味がある名詞で、「水甕と澪」と書いて短歌のことだと分かるのは澪の会の会員だけです。
「教室に通う以前の我が歌は」とか「短歌誌に並ぶ歌には無き単語」など誰が読んでも分かる言葉にする必要があると思います。
16・着膨れて散歩する影長く伸び光の中にチラチラと春(飯島)
上の句は具体的な描写でしっかりと影を思い描けたところで、急にせっかく思い描いた影がどこかに吹き飛んでしまい春を思わせる光が出て来るので読者は自分の立ち位置が分からなくなってしまいます。
少しずつ日が伸びてきて散歩道に着膨れた影が長く伸びる、とか春立つとは名ばかりのまだ寒い日に着膨れた影が長く伸びているとか、せっかく具体的に描いたのだから最後まで影を主役にしてあげて欲しいですね。
逆に光の中に感じた僅かな春を歌いたいのならば、影については遠慮してもらって、光についてこそもっと詳しく具体的に描写しないと主役になれ得ません。
17・虫食いのブロッコリーを捨て置けば寒さの中に花芽つけたり(栗田)
虫食いだし(価値がないとして)捨て置いたブロッコリーに花芽がつき、その生命力と健気さに「あらまぁ」とちょっと嬉しくなり感心しているのではないでしょうか。
「花芽つけたり」だと「花芽をつけた」という意味になり、「花芽つけおり」だと「花芽をつけている」という意味になります。
ここは「あらまぁ、いつの間にか花芽をつけているわ」という印象があるので「花芽つけおり」の方が合っているのではないでしょうか。
18・温暖化 牛のゲップのメタンガス遺伝子いじくり新生物へ(石井)
温暖化という人類が引き起こした問題に対処するため牛の遺伝子をいじくってメタンガスの出ないゲップをする牛という新しい生物を作り出そうとする人間のおこがましさを歌った社会詠ですね。
目の付け所はとても良いのですが、社会問題などを題材にするとどうしても「説明」でかなりの文字数を取られてしまう難しさがあります。説明に字数を取られ、肝心の心情を入れる部分がどうしても狭くなってしまうのですが、ここでは「遺伝子いじくり」とすることで遺伝子操作という人間の科学力をマイナスイメージに捉えているのだな、ということは伝わりますね。これが難病治療などだったら同じ遺伝子操作という科学に対して「いじくる」という表現は使わないのではないでしょうか。
さて、下の句は作者の心情も入っていてこれ以上は変えられない気がします。
ただ上の句は「温暖化・メタンガス」と体言止めが続くこともありちょっと何とかしたいところですね。
まず字余りになっても「温暖化に」として文を繋げたいかな、と思います。「温暖化に牛のゲップは要らぬもの」「温暖化に牛のゲップは困りもの」などとしてはどうでしょうか。
「ゲップそのものを無くすんじゃない。メタンガスを含まないゲップにするんだ」という細かい知識はこの際置いておかないととても三十一音では語れません。一番言いたいのは「遺伝子をいじくって新しい生物を作る人間のおこがましさ」ですよね。
ですからここでは「温暖化に関係して牛のゲップをどうにかしようと遺伝子操作してるんだな」ということが分かればいいのではないかと思います。
19・立春の青空チャンスもったいない虫干しかねて布団すべて干す(大塚)
立春のすっきり晴れて青空が広がる日、ここぞとばかりに布団を全部出してきて干す作者。
生き生きとした生活感が見えて良いですね。
ただ皆さんは特に気にならなかったようなのですが、私はどうしても「虫干しかねて」が気になってしまいました。「え、何と兼ねてるの?」となってしまったんですが。虫干しをかねて部屋の換気をする、とか虫干しをかねて衣類を入れ替える、などAをかねてBという別の行動をするのなら分かるのですが、布団「すべて干す」って、それ「虫干し」と同じでは?と。「虫干しをかねて虫干しをする」という感じに聞えて違和感が拭えないのですがどうなんでしょう?
「さあ虫干しだと」「虫干しするぞと」「ここぞとばかり」「ぎゅうぎゅうに寄せ」などなら何の違和感もないのですが。
20・弟の首に掛かれるニトロ錠お守りだけであれよと願ふ(小幡)
狭心症の発作を鎮めるためのニトログリセリン。発作の恐れのある患者さんは銀色のカプセル型のチタンやステンレス製ピルケースに入れて首から下げていますよね。
それを使うような狭心症の発作が起きることなく、お守りだけであってくれよと願う姉心。
「願う」と言ってしまっているのでこれ以上の展開というか余韻はあまり無いのですが、家族を心配する素直な姉心という感じで、私はこれでもいいんじゃないのかなぁと思ったのですが、砂田はこの作者なら「願う」と言ってしまわずにもっと読者に考えさせる表現ができるはず、と重い期待をかけていました(笑)。
「弟が首に掛けたるニトロ錠たつた二センチの大きなお守り」とか「銀に光りて五年目の春」とか……ですかね?うーん、難しい。
21・マスク外しは髭を毎日剃ることか無精をやめシャキッと生きる(緒方)
3月からは公共の場などもマスクを外してもいい、という政府方針になってきましたね。とはいえマスクをしている方が明らかに喉の乾燥を防ぎ痛くなったりしないし、普通の風邪も防げるし、何より花粉症なので私はまだまだマスクを外しません。というか外せません(笑)。
この作者はいち早くマスク無し生活に戻れるよう気持ちを切り替えて、どうせ見えないからとサボっていた髭剃りを始めたようです。
「マスク外しは」という初句ですが「脱マスクは」などはどうでしょう。これでも六音にはなりますが。「脱原発」などと言うように、「マスク外し」よりはありそうな新語ではないでしょうか。
また「無精をやめて」として七音に整えましょう。「ぶ・しょ・う・を・や・め・て」で七音です。
22・茅ヶ崎へ昔の住処通過せり思い出だけが朧に過ぎぬ(名田部)
茅ヶ崎へ行く途中に昔住んでいた所を通過したということで「茅ヶ崎へ」としたということですが「行く途中」という意味の言葉をまるっと省いて「茅ヶ崎へ通過せり」と繋げるのは無理があり、文法的におかしいです。
何処へ行く途中だったとかいう情報は読者には不要で、「昔住んでいた所を通過した」という情報が重要です。ただそこに何かいい感じの具体的な地名が入るとぐっと場面が鮮やかになるので「茅ヶ崎の昔の住処を通過せり」として「昔の住処」を補強する情報なら有効です。
「茅ヶ崎へ行く途中で、実際の駅名は門沢橋、住所でいうと海老名」ということですが音数的にもイメージ的にも「茅ヶ崎の」としてしまうのが一番良さそうかな、と思います。
日記ではなく作品なのである程度の創作や粉飾も時には必要です。
23・寒風に並びてどら焼き買い求む 親孝行の真似がしたくて(金澤)
親孝行がしたいのではなく親孝行の真似がしたい、というあたりがとても個性的ですね。
「寒い中並んで親のためにどら焼きを買う私ってなんて親孝行!」などとは思わず、「ふん、ちょっとした親孝行の真似よ。大したことじゃないわ」というあたりの照れくささが可愛らしいですね。
「並びてどら焼き」の「て」は必要でしょうか?「並びどら焼き」で七音でもいいのではないでしょうか。
24・空気冷え蕾ほころぶ水仙のすっくと立ちて庭引き締まる(川井)
水仙が「すっくと立ちて」庭引き締まるという観察と表現がいいですね。
この作者は最近しっかりとした観察からの素直で分かりやすい言葉選びが際立っていて素晴らしいと思います。見習いたい。
蕾ほころぶから先は何も言うことはありません。
初句の「空気冷え」だけが水仙から視線が離れているにも関わらず意味を持つ情報(主役を引き立てず邪魔をする)なので、ここは「立春に」くらいの軽い情報にして水仙の邪魔をしないようにしてしまいましょう。
25・昨年のこぼれ種よりひとつだけさくら草生え冬にきみどり(鳥澤)
冬の色の少ない庭にこぼれ種から生えたさくら草を見つけ、その若々しいきみどり色に喜ぶ作者。
「昨年の」という情報の代わりにさくら草の状態の情報を入れてもいいかもしれません。
「ひとつだけこぼれ種よりさくら草の若葉ひらきて冬にきみどり」とか。
26・野良猫の糞に紛れて赤茶けた柿の種落つ冬の庭すみ(畠山)
野良猫って柿なんか食べて冬を凌いでるのか、という驚きがありました。冬は虫やトカゲなんかもいないですもんね。
硬いからか未消化のまま結構大量に混じっていて、「いくつもの柿の種」としてその量の方を書こうか、それとも視覚の情報「赤茶けた」を書こうかで迷いました。
☆今月の好評歌は10番、金澤さんの
改札の向こうの娘はすでにもう見知らぬ町に溶けこみて立つ
となりました。
寂しさの中にもどこかほっとするような複雑な親心が見えてくる良い歌ですね。