短歌厚木水甕 澪の会

神奈川県厚木市の短歌会「澪の会」のブログです

*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見をブログ管理人(畠山)が独自にまとめたものです。各歌の著作権は各作者にあり、ブログ内で例として挙げた歌で著者名を記していないものの著作権は私(畠山)にありますので、そのまま真似してどこかに投稿したりは絶対にしないでくださいね。尚、「こう直したらどうでしょう・こんな感じに歌ってみたらどうでしょう」として書いている歌はその歌の原作者様(各歌の()内の名前の方)に著作権があるものとします。

◆歌会報 2023年1月 (その2)

◆歌会報 2023年1月 (その2)

*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見を畠山が独自にまとめたものです。

 

第128回(2023/01/20) 澪の会詠草(その2)

 

13・店先にとりどり並ぶシクラメン兎の顔に憑かれて求む(栗田)

店先に並ぶシクラメンの花が兎の顔に見え、その可愛さに衝動的に買い求めてしまったよ、という歌。

「憑かれる」では何か霊的なものにとり憑かれてしまったようですね。ここは心を衝かれて衝動買いしてしまったという意味ですから「衝かれて」だと思います。また思わず衝動的に買ってしまったという思いが強く「衝かれて」としたのかもしれませんが、そんなに強くなく「惹かれて」くらいでもいいのではという気もします。

また「兎」が唐突すぎて、鉢に飾りとして付属している季節感を出すための兎のピックや置物なのか、花そのものが兎に見えたのかが今一つ分かりません。

「店先にとりどり並ぶシクラメン」は細かく状況を説明しているようでいて、欲しい情報はそこじゃないのよ~という感じです。

ちゃんとした状況を思い浮かべるには、シクラメン花が兎に見えたという情報が欲しいところ。

「純白にピンクの耳の兎かな小(ち)さきシクラメン一鉢買いぬ」とか「純白にピンクの耳が揺れている「雪うさぎ」とうシクラメン買う」ならシクラメンの花自体が可愛らしい兎に見えて思わず買っちゃったんだなと分かるのではないでしょうか。

 

14・歩くこと遠き日にかと行く人の足だけ見ておりこの三ヶ月(小夜)

「行く人の足だけ見ており」がいいですね!普通に歩く人を羨む気持ちや中々治らない焦りなどがひしひしと伝わってきます。

ただ「遠き日」と言ってしまうとどちらかというと過去を思い浮かべる人の方が多いと思います。「歩いたのは遠い日(昔)になってしまったよ」ととられてしまうかもしれません。

ここは「歩けるのはまだまだ先かと行く人の~」と自然な言い回しでいいんじゃないでしょうか。少し字余りにはなりますが下の句がとても良く、結句はしっかり七音なのでさほど気にならないかと思います。

道行く人の足についつい目が行ってしまう。足を痛めて三ヶ月も歩けないという辛い体験を実際にしなければ中々出て来ない目線(物事の見方)だと思います。とても個性的で、経験に基づく深い目線ですね。

 

15・一人とはそうなんだよと相槌を打てる相手のいないことかな(大塚)

他愛ない話をして「そうそう、そうなんだよ」と相槌を打つ。そういう相手がいないことが孤独(一人)というものだなぁと。ご主人を亡くした作者が少し落ち着いてきたことで逆に寂しさを実感しているのかなぁと思います。

ここは「独り」という字を使ってもいいのでは、という気もします。

「一人とは~ことかな」とやや格言めいているというか達観した独白的な印象もあるのですが、「そうなんだよ」の部分を「『そうだねぇ』と」などとしたり、「相槌を打てる相手の」を「相槌を打てるあなたの」としたりすると雰囲気がかなり変わると思うのですが、どちらがより作者の心情に近くなるのか試してみて欲しいところです。

「相手の」とするとやや諦めが入りつつ現実を受け止めて生活している作者のような気がするし、「あなたの」というとぐっと作者の内側に寄り、まだまだそこに渦巻く寂しさを感じている作者という気がします。

 

16・不揃いの石段に映る木もれ日を作りし櫟(くぬぎ)ヘやわらかい風(川井)

「不揃いの石段」がいいですね。「縮み強張ったススキ」もそうなのですが、本当に対象をしっかりと見ていて、尚且つそれを変に飾らない素直な言葉で表現できていてすごいなと思います。率直な表現なのでまっすぐストンと入ってくるんですよね。

ただ木洩れ日を作っているのは遠い過去でなく今現在なので「作りし」ではなく「木洩れ日を作る櫟へ」ですね。音数も七音になります。

また「不揃いの石段」が良いだけに「やわらかい風」が少し一般的で勿体ないですね。結句ですし。

「ふんわりと風」「さわさわと風」「ゆるゆると風」等、作者なりの「やわらかい」風の表現を探してみて欲しいと思います。

 

17・またたける星の鼓動に同じゅうし熱き血潮の滾るを覚ゆ(緒方)

「またたく星の鼓動」など具体があるようでいて無いので作者がどういう状況にあってどういう感情が渦巻いているのかがちょっと分かりません。

また、またたく星と滾るほどの熱き血潮のイメージが重なる人は少ないのではないでしょうか。

オノマトペにするとまたたく星は「ちらちら」「ちりちり」「きらきら」等で、熱き血潮は「ドクンドクン」「ドッドッ」「ドクドク」等で、どうにも印象が違い過ぎてなかなか「同じゅう」はできないと思います。

「またたける星の鼓動に同じゅうし私のなかを血潮が巡る」くらいならまぁ分かるのですが、やはり作者が何を経験したことによりどんな感情を渦巻かせているのかが分からず作者の感情を再構築できません。

本当に作者は「またたく星」で「血潮が滾った」のでしょうか?何か別の思考が間に挟まれていて、それによって「血潮が滾った」のではないでしょうか。

作者の血潮を滾らせた本当の理由が見えて来るといいなと思います。

 

18・右脚の豆炭行火(まめたんあんか)のやけどあと紺のブルマー哀し昭和よ(小幡)

右脚の豆炭行火による大きな火傷あとを隠せない昭和ならではの紺のブルマーが哀しい。

スクール水着とかブルマーとか、幼心に素肌や体型が隠せない女児用制服は本当に嫌でしたね。

ましてや豆炭行火による火傷のあとが見えてしまうとか、本当に女の子の心理としては哀しいものがあったと思います。

豆炭行火や紺のブルマーなど「昭和」を思わせる具体的なアイテムが効いていますね。ただ「火傷」は「やけど」と読めても「行火」はあまり見慣れないのでぱっと「あんか」と読める人は少ないかもしれません。「豆炭あんか」と「火傷」と表記してはどうでしょうか。

最初は「哀し」と言ってしまうのはどうかな~、「右脚に豆炭あんかの火傷あと紺のブルマー 昭和が写る」とかにして「哀し」と言ってしまわない方が…とも思っていたのですが、ポンポンと具体的なアイテムが並ぶのでここは敢えて「哀し」と言ってしまっても結構いいのかも…とも思います。

最終的には作者の判断ですね。

 

19・一人身で元旦祝う食卓は妻に陰膳添えて乾杯(山口)

これも無理ない文章できちんと音数も合って良い歌になっていますね。

奥様を亡くして初めての正月を一人で迎える作者の様子を淡々と描写していますが、そこから作者の寂しさや亡くした後も尚深い奥様への愛情を感じられます。

「元旦祝う」だけが少し気になりました。作者の心情的に「祝う」感じではなかったのではないかなぁ、と。「元旦迎う」くらいにしてはどうでしょうか。

 

20・ニワトリに生まれ来たりて死は覚悟食卓にのぼることなくて死(石井)

結句は「食卓にのぼることなく廃棄」としたいと申し出がありました。

鳥インフルエンザにより他者の命の糧となることすらなく無残に殺される大量の鶏。なんかこう…モヤモヤするものがありますよね。

気候、戦争、環境など「人類こそがこの星の癌…」とかダークな思想が渦巻いてしまうニュースが増えてきた気がします。

さて「死は覚悟」と言ってしまっていますが実際鶏たちはそんな覚悟をしていないですよね。インフルだろうが食用だろうが鶏からしたらどちらも突然の無残な死だと思います。

実際にはあり得ない「鶏の覚悟」ではなく「食卓にのぼることなく大量の鶏が廃棄処分された」という事実だけを突き付けた方が読者を考え込ませ、重い感情を渦巻かせることになるでしょう。

「大量のニワトリたちは集められ食卓にのぼることなく廃棄」「ニワトリはビニールに詰め埋められて食卓に~」「穴の中一千万羽のニワトリよ食卓に~」など描写できる事実は色々あると思います。

 

21・正面の富士山眺め湯につかる昔入りし銭湯浮かぶ(名田部)

「富士山を正面に眺め」とした方が富士山の印象が強くなり風景に広がりが出ると思います。

また上の句も下の句も「つかる」「浮かぶ」と終止形で切れてしまうため、上の句は終わらせずに下に繋げた方がすんなり流れると思います。

「富士山を正面に眺め湯に入れば昔入りし銭湯浮かぶ」としてはどうでしょうか。「入る」が被ってしまいますが響きは「いる」と「はいり」なのでまぁぎりぎり許容かな、と。

被りが気になるようなら「正面に富士山眺むる温泉に昔入りし~」などとしてもいいかもしれませんが、やはり「富士山を正面に」の方が風景の印象が強いと思います。

 

22・美容室の前に晴着の娘さん母のスマホに二十歳が満ちる(鳥澤)

娘の晴れ姿をスマホのカメラで何枚も撮っているのでしょうね。「スマホに二十歳が満ちる」という表現が現代的でとても面白いと思います。

「美容室前」の「の」は必要でしょうか。入れないと意味が分からなくなる助詞ではなく、この「の」は省ける助詞だと思います。学校前、神社前、デパート前など皆さん普通に使っている表現だと思います。今回は省いて音数を合わせましょう。

 

23・お歳暮のハムを討伐に来ませむか 召集令が友より来たる(畠山)

近くに住む友達から「お歳暮にでっかいハムを貰ったけれどもうちでは到底賞味期限内に食べきれない!よかったら討伐に来ませんか?」とのメールが届き、巨大ハム討伐に行ってきました。

ハムを「討伐」するという誘い文句が面白くてクスッとしてしまいました。

旧カナ使用なので「来ませむか」かと思ったのですが話し言葉だし「来ませんか」でいいようです。

 

24・葉を落とし鈴なりの柿 新春の陽ざし集めて冬景色の美(飯島)

私も11番で歌ったように、冬なお赤い実を鈴なりに付けた柿の美しさは何ともいえないものがあります。

ただそれを「冬景色の美」と概念的な言葉で言ってしまったのが惜しいかな、と。

また「鈴なりの柿」で一字空ける必要があるかな、と。一拍置くほどの場面転換や言葉にならない思考がここにあるでしょうか。ここは字余りになっても「柿は」と助詞で繋いでいいのではないでしょうか。

「葉を落とし鈴なりの柿は新春の陽ざし集めてどのようにある」と見たままの情報を率直に言葉にしてみてください。「縮み強張ったススキ」のように。どっしりと立っていましたか?それとも煌めいていましたか?枝を広げていましたか?

 

☆今月の好評歌は23番、畠山の

お歳暮のハムを討伐に来ませんか 召集令が友より来たる

となりました。

ハムを討伐という表現で食事に誘ってくれた友人に感謝ですね。ハムだけでなくお食事全部美味しかったです。

By PhotoAC HiC