◆歌会報 2022年7月 (その2)
*各評は講師の砂田や会の皆様から出た意見を畠山が独自にまとめたものです。
第123回(2022/7/15) 澪の会詠草(その2)
15・生れたて水田キララ田植終え稲田の緑風きって(小夜)
生まれたて(生まれたてが本則送り仮名。生れたては許容)の水田はキララと輝いている。田植を終えた稲田の緑の上を風が吹き抜けてゆく。
という場面を歌いたかったのかな、と思います。
が、通常生まれたての水田(しかもキララ)から思うイメージは「田んぼに水が入ったところ」になると思います。
しかしその後で「田植終え」とあり「ん?生まれたての水田というのは田植直後の田んぼのこと?水が入った時とは別?同じ?」と考え直したりしなければならず、すっと場面を思い描けません。
「水が入って生まれたての水田がキラキラしている=水田のきらめき」という部分を核にするのか、「田植直後の稲田の上を抜ける爽やかな風=早苗田を抜ける風」という部分を核にするのかを決めて、採用しなかった方はバッサリ削りましょう。
また「風を切る」というと自転車や走る人など「動く物が風を切って移動する」イメージになります。稲田は動かないので「風を切る」はちょっと合わないですね。風の方が動く場合は「風が抜ける(吹き抜ける)」の方がしっくりきます。
「柔らかな早苗の先をさやさやと揺らして抜ける水無月の風」「早苗田の上をさーっとまっすぐに駆け下りてゆく阿夫利嶺の風」など「田植直後の苗(田)」と「どんな風」という情報に絞って詠んでみましょう。
「田植直後の稲田」の表現だけでも色々考えられますね。「早苗」「早苗田」「まだ短き苗」「まだ小さき苗」「田植終え」「若き苗」「玉苗」など色々あるのでぴったりな表現を探すことを楽しんでみてください。
16・強烈な夏至の日差しに辟易し先人の知恵のよしず立て掛く(金澤)
説明は不要ですね。そのまま意味がよく分かります。
日々の何気ない暮らしを現代的な感性と言葉で表現するのが上手い作者です。
ただ日除けのため(物理的理由)とか習慣でよしずを立てようとするのではなく、「何だかんだ日除けも色々あるけどこれ(よしず)が一番。先人の知恵よね」と思いながら立てかけるところに作者の「現代人的センス」が表れています。
特に直すべきところはありませんが、「先人の知恵と」としてもいけると思うので比べてみて下さい。
「先人の知恵のよしず」「先人の知恵としてよしず」というように少し印象が変わってきます。「と」の方がより「先人の知恵」を意識している感がありますね。
17・管をいれ血流通し退院はいちじしのぎに何故かほっとす(山口)
体内に管を入れて血流を通す処置をしての退院は一時しのぎに過ぎないと分かっていても何故かほっとする。
3番の膵臓癌の告知を気丈に聞いた奥様の歌の続きですね。
重く苦しい現実に直面しつつも歌にすることで一歩引いて冷静に受け止めているように思えます。
表記は一部修正しましょう。
「管をいれ」は「管を入れ」と漢字に。
「退院は」とするには「血流を通しての退院は」と来ないと不自然ですが、それだとかなり字余りになってしまいますので、ここは「退院す」として一度切ってしまいましょう。
「一時しのぎ」も漢字に。また「一時しのぎに」ではなく「一時しのぎも(一時しのぎだけれどもの意)」。
「管を入れ血流通し退院す一時しのぎも何故かほっとす」
これでぐっと読みやすくなると思います。
また「何故かほっとす」は「どこかほっとす」とするのもありだと思うので比べてみてください。
18・104歳天寿全うし一人で逝きし遺す言葉の有りや無しやと(栗田)
六八六七七とかなり定型から外れてしまったのでちょっと読みづらいですね。
また横書きだとあまり違和感がないかもしれませんが短歌は縦書きが標準なので数字はなるべく漢数字で表記して下さい。
さて、百四歳という長命で亡くなったのは一体誰なのでしょうか。「一人で逝った」「遺す言葉の有りや無しや(有るのか無いのかよくわからない)」というのだからあまり身近な方ではないような気がしますが、どんな人物を思い浮かべればいいのかよく分かりません。
百四歳ならもう「天寿全うし」という情報は要らないのではないでしょうか。それよりもどんな人物なのか、具体的に思い浮かべるための情報が欲しいところです。
「百四歳独りで逝ける媼(おうな)あり遺す言葉の有りや無しやと」
とかなら近所の独居老人が亡くなった報せを聞いたのかしら、などともう少し具体的に想像することが出来ますね。
情報の取捨選択は難しいので少しずつ学んでいけばいいのですが、なるべく定型に収める努力(類語や言い回しなどの言葉探し・語順入れ替えなど)は毎回頑張ってみて下さい。
今まで出来ていたのですから出来る力はあるはずです。
19・阿修羅像木彫りの肌はすべすべと御目に掛かるる展示会にて(名田部)
展示会で御目に掛かった木彫りの阿修羅像の肌はすべすべであった。
木彫りの阿修羅像を「見た」のではなく「御目に掛かった」とするところが面白いですね。
「すべすべと御目に掛かる」と続くのは不自然なので「木彫りの肌はすべすべよ(感嘆)」として一度切った方が良いでしょう。
また「御目にかかるる」ではなく「御目にかかれる」、もしくは語順を入れ替えて「展示会にて御目に掛かりぬ」とした方が自然だと思います。
20・川中に腰まで浸かる釣り人の竿鎮まりて鮎を待ちおり(川井)
迷う所なく情景が浮かびますね。
厚木は市内に相模川が流れているので鮎釣りが解禁になるこの時期になるとよく見かける光景ですね。
結構長い時間、竿がピクリとも動かないまま川の中に立っている人を見かけて、そんなに釣れなくて楽しいのかしら、などと思ったりもしますが、あの「止まったような時間」が逆に良いのでしょうか。
一種の座禅のような(笑)。
このままでも完成されていますが、「釣り人の竿は鎮まる鮎を待ちつつ」としてみると「鮎を待つ」より「竿が鎮まっている」にやや重点が移りますね。
どちらが作者としてしっくりくるか比べてみて下さい。
21・凌霄花(のうぜん)の文月(ふづき)を盛りと咲きほこる意志称うがに夏の陽たけし(緒方)
ノウゼンカズラが文月(七月)を今が盛りと咲き誇るその意志を称えるように夏の太陽が強く盛んに照っている。
個人的にはノウゼンカズラが七月を盛りと「どのように」咲きほこっている。という核だけでまとめた方が美味しいんじゃないかな、と思います。
どうしても夏の陽を入れたいというのであっても、「夏の陽たけし」ではなく「夏の陽高しや近し(見たままの情報)」にした方がいいと思います。
「咲きほこる(どのように?)」「意志称うがに(何をもってそう感じた?やや理屈っぽい。使うなら「意志を称えて」と確定してしまった方がいいのでは)」「夏陽たけし(猛しはかなり概念的。強しでもまだ概念的)」と概念的(作者だけが迷わず確信している感覚)な描写が続き、読者からすると想像の範囲が広すぎて決め手に欠ける感じになってしまっているような気がします。
酷暑にも今を盛りと「このように」ノウゼンカズラが咲きほこっている、という場面でまとめた方が歌としては映えると思います。
「咲きほこる」と言っても色々言えそうですよね。蔦重くして、咲く場所狭しと、零れ咲く、連なれる、朱を連ぬ、朱を濃くす、朱華(はねず)濃しなど具体的に思い描ける情報を探してみてください。
22・初生りの無花果うれし手にとれば吾より先に蟻が味見す(大塚)
初めて実った無花果を「ようやく食べられるまでに育ったのね」と喜んで手に取ってみれば、私より先に蟻が味見をしていた。
人間より先にちゃっかり頂いている蟻という切り取りはとても面白いですね。
ただ嬉しい気持ちはよく分かります。が、それを言ってしまってはいけません。
「重し・丸し・艶々し・瑞々し・ぷっくり」などの客観的な表現で何か合いそうなものを探してみてください。
23・遥遥と京の東寺の五重ノ塔人疎らにて緑の木木濃く(戸塚)
遥々とやってきた京都の東寺の五重塔。コロナ禍だからなのでしょうか人はまばらで緑の木々が濃く繁っていた。
9番の歌に続き、京都旅行をされた時の風景を歌ったシリーズですね。
歌としては「人疎らにて」か「緑の木々濃く」かどちらかに焦点を絞った方がいいと思います。
通常だったら観光客で溢れてそうな東寺(有名観光場所)なのにコロナ禍でびっくりするほど人が疎らだったわ、という部分の方に感銘を受けたのか、純粋に五重塔と木々の緑の対比という「風景自体」に感銘を受けたのか。
前者なら「制限明けてもまだ人まばら」とか「人は疎らよコロナ禍続く」などコロナ禍だからこんなに人が少ないんだ!という情報を入れてしまった方がいいのでは。
後者ならばまず「緑の木々が濃い(多い)」のか「木々の緑が濃い(色合い)」のかを決めて、それに合った語順を決め、更にそれを補完する情報を入れてみて欲しいです。
「緑の木々のこんもりと濃し」とか「木々の緑の深々と濃し」とかそんな感じで考えてみてください。
24・一軒おきに雨戸閉ざせる隣組空き家、入院、施設入所と(小幡)
現代の社会問題ですね。新宿まで一応一時間圏内の厚木ですら駅からちょっと離れるとこんな現状ですから、地方の過疎化はもっと酷いのでしょうね。
さて、実際に「一軒おき」だそうで、作者にはそれがとても強い印象だったのだと思います。
本来なら客観的なだけの情報は有効的に働く場合が多いのですが、今回の場合は下の句に作者の感じ方ゆえに選んだ作者ならではの言葉が入る余地がないせいで歌全体が現状の説明だけで終ってしまっている感じがあります。
そこで初句を「また一軒」としてみてはどうでしょうか。実際は「また」ではなくもう既に雨戸を閉ざしてそこそこ経っているのかもしれませんが、「また」とすることで増えて行く空き家へのなんとも言えない焦燥感のようなものが出て来るのではないかと思います。
25・「林火」の忌 父の清書を請け負いて〆切前の伸吟目に浮かぶ(飯島)
「林火忌」とは俳人の大野林火という人の忌日だそうです。新聞か何かで「林火忌」のことを目にした作者は、お父様がその大野林火の主催していた俳句会に俳句を出していて、その清書を頼まれていたそうで、締め切り前は父も毎回苦労していたなぁ、と今短歌作りに苦しむ自分と重なったという事ですが……無理です(笑)。三十一音ではとても表せる内容ではありません。
とにかく「削り」ましょう。短歌は大きな木の中に輝く核が埋まっているのを不要な部分を削って削って彫り出す彫刻のようなものです。
このままではまだ枝やら何やらが付いたままの原木状態で、核を彫り出すどころかまだ木材にもなっていない感じです。
「俳句を学んでいた父の苦しみと締め切り前の自分が重なる」くらいを木材とすればまだ何とか彫りだせる大きさになるのではないでしょうか。そうして彫り出す範囲を決め、そこから更に核を目指して丁寧に削り落としていきましょう。
「林火忌」については別の歌として「林火忌になると俳句を投稿していた父を思い出す」くらいの木材にしてから彫り出してみましょう。
26・夜も更けて母から着信ふっと消ゆ操作ミスかな電話を入れる(鳥澤)
夜の遅い時間に母からの着信が短く鳴ってふっと消えてしまった。ただの操作ミスかしら、それなら別にいいんだけれど、もしかして何かあったんじゃないかしらと心配しつつ折り返しの電話を入れる作者。
特に直すべきところは見当たりません。現代的な場面と、お母様を心配して揺れる作者の微妙な心理が表れていてとても良い歌ですね。
「心配だ」とは言っていないのですが、そわそわするようなむずむずするような何か嫌な予感を感じるような不安が読者にも伝わってきます。
27・白昼の暗殺事件の凶弾は漠たる戦後の平和をも撃つ(畠山)
安倍元首相の銃撃事件ですね。最初に速報が鳴ってから、数十分おきに流れる速報に都度ショックを受けました。
色々と不景気やら何やら暮らしにくさもありつつも、どことなく漠然と「まだこの国は平和だな」と感じていたものが一気に打ち砕かれた感じがしました。
事件自体の真相や問題は今後徐々に出て来るのだと思いますが、今回はとにかく「なんとなく平和だと思っていたこの国でこんなことが起きるなんて」という部分だけを歌にしてみました。
「漠たる(漠然とした)」は「平和」にかかるのですが、この位置だと「戦後の」にもかかってしまいちょっと不安定ですね。「戦後の漠たる平和」に語順を変えようと思います。
28・人ゆかせ車をゆかせみづからは不動の橋が村へとかかる(砂田)
人を行かせ、車も行かせながら自らはどっしりと動くことのない橋が村へと架かっている。
橋は村に暮らす人々の生活や歴史を長いこと支えつつ見て来たのでしょうね。
村というやや小ぢんまりとして閉塞感もあるような空間に続く橋というのが良いですね。大きな橋は大きな橋で重要な歴史とか見ていそうな物語性もあるけれど、村へかかる橋だとより地域の人々の「生活」に密着した感じで、村に暮らす人々の喜怒哀楽を見つつ寄り添ってきたのかな、という気がします。
☆今月の好評歌は6番、川井さんの
Tシャツに汗にじみ出る真夏日の真っ青な空真っ白な雲
となりました。
誰もが分かる言葉で具体的に上の句を描き、それによって下の句を説明なしに鮮やかに限定しています。
簡単な単語しか使っていないから私にも出来そう、とか思う人もいるかもしれませんが、やってみて下さい。なかなか上手くはいかないものです(笑)。